02|私は何者なのか
前の記事では、私が人のエネルギーやカルマの関係を霊視し、その絡まりをほどく道筋まで見ていることを書きました。
そう聞けば、「霊能者なのですか」と思う方もいるでしょう。
私は、自分のしていることを説明するときに「霊視」という言葉を使います。それが、実際にしていることに沿っているからです。
けれども、前の記事で書いた通り、私にとって現実と見えない世界は、仕事のたびに切り替えるものではありません。それをどう呼ぶか、どんな肩書をつけるかよりも、何を見て、相手にどう届けるかを大切にしています。
また、私は「霊能者」という肩書は、個人的には好きではありません。足が速い人がいたり、背が高い人がいたりするのと同じように、私にとっては、これが普通です。
つまり私にとって、「ただ、私は私だ」という感覚です。そのため、自分を何かの肩書で分類したいとは、あまり思いません。
私が見ている時間と、感覚の違い
私は、物事を見る時間の幅も、人とはかなり違います。あらゆる物事を、一年、二年という単位ではなく、十年、何十年という単位で見ています。
それは仕事に限りません。人に対しても、一つの人生だけではなく、その前後の生まで見ています。
だからこそ、今ある人生の中で、なぜそのような執着を握っているのか、というとても大きな目線からこの世界を見ています。
現在の私の見方に至るまでには、覚醒体験がありました。その経緯については、サイト内のヒストリーにまとめています。
→ ヒストリー|源流
身体を通して受けるもの
前の記事で、この能力は日常生活ではほとんど役に立たず、不便なことのほうが多いと書きました。
人の状態を深く読み取ることは、私自身の身体にも負荷を伴います。頭が痛くなったり、肩が重くなったりすることがあります。
たとえば私は、人混みに行くと、すぐに頭が痛くなります。ですから、人里に降りることはほとんどありません。買い物のほとんどはネットで済ませますし、普段、家族以外の人と会うこともほとんどありません。
それだけではなく、逆に相手が私のことを考えたりするだけでも、そのエネルギーの干渉を受けます。相手の状態によっては、吐き気が起きたり、目が痙攣したりすることもあり、メリットはあまりありません。
さらに、夜中も夢の中で仕事をしています。相手の潜在意識の中にある、分離したエネルギーと対話をしながら、執着を解いていくための手ほどきをすることもあります。
私は、自分の身を削りながら、この仕事をしています。
相手の持つ執着のエネルギーが重ければ重いほど、私にかかる負荷は大きいものです。そうした負荷も含めて、各サービスの価格は決まっています。
なぜこの記事を書いたのか
ここまで身体の反応や日々の暮らしについて書いたのは、私が実際に何を見ているのか、どういう人間なのかを知っていただくためです。
通常の記事だけでは伝わりきらない、私が日々何を感じ、どんな生活をしながらこの仕事をしているのか。そこまで含めて知った上で、セッションにはお越しいただきたいと思っています。
また、私のセッションは、潜在意識を書き換えて人生をうまくいかせる、という欲を叶えるためのものではありません。癒しを目的にしたものでもありません。霊媒師のようなことをしているわけでもありません。
セッションに来たとき、私が何を見て、どのように理解し、あなたに何を伝えていくのか。
そこに齟齬がないように、このページを書いています。
経験に裏打ちされた技術
私が行っているのは、人とその周囲にあるエネルギー、正のカルマ、負のカルマを見たうえで、その人に必要な道筋を読み解くこと。そのうえで、見えない世界を一人一人が理解できる形に翻訳しながら伝えるところまでです。
そこに、決まった答えがあるわけではありません。これは、私自身の感覚と経験に深く結びついた、熟練の技だと思っています。
その場その場で、相手の状態によって、適切な「解」は刻一刻と変わっていく。その中で、ご相談者様が良い方向へ進むための言葉を伝えていきます。
また、私は見えたことをすべて、そのまま相手に丸投げするわけではありません。
つまり、「見えること」と「それを人に伝えること」は別のことだと考えています。
次の記事では、なぜ私は見えたものを相手に雑に伝えないのか、その理由についてお話しします。
