04|新たな執着を握らないために|マトリョーシカ構造
苦しさから抜けようとして、一つの執着を手放したはずなのに、代わりに別の答えを握ることがあります。
たとえば、
「これが本当の原因だった」
「この答えについていけば大丈夫」
「こんなことを知れた私は、特別なのかもしれない」
そうした答えによって、一時的に安心することがあります。
しかし、その時点で、そこには新たな執着が生まれています。
それが、執着のマトリョーシカ構造です。
マトリョーシカ構造とは
新しい考え方や原理を知ったとき、人はそこから、気づかぬうちに別の執着を握ることがあります。
「このことを知った私はすごい」
「わかった私は助かる」
「世の中には、わかっている人と、わかっていない人がいる」
「わかっていない人たちが、この世界を悪くしている」
そんなふうに、「わかっている側」と「わかっていない側」を分け、自分たちが正しいのだと思い込み、正義を振りかざすこともあります。
けれども、その考えは結局、新たな争いを生み、本質的な解決にはつながりません。
こういった考え方は、ある意味でハルマゲドン的です。
つまり、世界の終末から「選ばれた側」だけが逃れられる。
そんな救済物語のように、
「正しい答えを知った自分は助かる」
「それを知らない人は助からない」
「間違った人間が、この世をおかしくしている」
そのような物語の中を生きていくことになってしまいます。
私のところに来る方も、こうした構造になっている方は、正直に言って少なくありません。
何かを学び、何かに気づき、以前とは違う考え方を持つようになった。
けれど、その理解そのものが今度は新しい執着になり、「わかっている自分」と「わかっていない誰か」を分けるものとなっていることがあります。
エネルギー的に見れば、それは以前の考え方から、ほとんど進化していない状態です。
一つの執着を手放しても、別の答えを握れば、形を変えながら同じ苦しみは続いていきます。
私が執着のマトリョーシカ構造と呼んでいるのは、このことです。
新しい正解を握ることが目的ではありません
人は、不安なときほど、はっきりした答えを求めます。
「これが原因です」
「こうすれば大丈夫です」
「あなたはこういう人です」
そう言われれば、一時的には安心するかもしれません。
けれども、その答えがなくては不安になるなら、それは自由になったのではありません。
新しい説明、新しい考え方、新しい誰かに、自分を預けただけです。
大切なのは、何か新しい正解を握ることではありません。
自分の中に何が起きているのか。
なぜそこに執着が生まれているのか。
現実の中で何が起きているのか。
それを、自分自身で見られるようになっていくことです。
ゼロの視点とは、完成した答えや固定された自己像を持つことではなく、その時々の現実と、自分の心の動きを見続ける姿勢のことです。
私は、セッションで完成した答えを渡すことを目的にしていません。
なぜなら、それが新たな執着となり、新たな苦しみを生むことがあるからです。
そのため、その人が自分の中にある執着に気づき、それを握り続けるのか、手放すのかを自分で選べるようになること。
そのために必要な視点を、対話の中で渡していきます。
分離から、統合へ
執着を解いていく中で、潜在意識と顕在意識、つまり、あなたの深い部分にある無意識と、日々考えている思考とのズレが、少しずつ一致していきます。
それまで分かれていたものが、統合へ向かっていく。
そして、自分の頭で考えた「こうでなくてはならない」という答えではなく、現実に起きていることを見ながら、そのときに必要な選択ができるようになっていきます。
私は、それを、原理と一致し、自分の中に秩序を持って生きていくことだと考えています。
次の記事では、「潜在意識の書き換え」について、よく勘違いされている点をお話しします。
