ZERO PERSPECTIVE ゼロの視点

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正負の法則とは

正負の法則とは

「正負の法則」という言葉は、「良いことと悪いことが同じ分だけ起こる」と説明されています。

私が見ているものも、これと非常に近い考え方です。ただ、細かく見ていくと、少し異なる部分があります。

正負の法則とは、エネルギーに偏りが生じたとき、その偏りを均衡に戻そうとする働きのことです。

善悪ではなく、偏りを戻す力

「正」と「負」と書きますが、これは「正しい・間違っている」「良い・悪い」という意味ではありません。

私には、あらゆる物事にそれぞれエネルギーの天秤が見えています。

正負の法則におけるエネルギーの天秤のイメージ

人間関係、仕事、お金、健康。この世のあらゆるものに対してです。

どちらか一方へ大きくエネルギーが傾けば、その偏りを戻す方向へ力が働きます。

私は、そのような原理を「正負の法則」と呼んでいます。

偏りとは何か

では、「偏り」とは何なのでしょうか。

わかりやすい例をいくつか挙げていきます。

誰かに負担を押し付ける。

自分だけ得をするために、誰かを踏み台にする。

一時的には、本人にとって楽だったり、幸せな状態です。

けれど、全体として見れば、そこには天秤の偏りが生じています。

そして、その偏りを均衡に戻そうとする働きが起こります。

わかりやすく言うと、このようなものです。ただ、これだけがすべての説明というわけでもありません。

偏りがあっても、すぐに均衡へ戻るとは限らない

例えば、人を騙してお金を得たとします。

その人にとっては、一時的には「お金が増えた」という良い結果に見えるかもしれません。

しかし、そのお金を得るまでの過程で、誰かを踏みにじるという偏りを生んでいます。

基本的には、その偏りを均衡に戻そうとする働きが起こります。例えば、人を騙して得たお金を、別の形で失うこともあります。

一方で、悪いことをしていても、そのまま幸せになっているように見える場合もあります。

そのことについては、 「天秤崩壊の原理」 で詳しく扱っています。

偏りを生まずに幸せになることはできる

正負の法則についてお伝えすると、「では、幸せになったら、その後には不幸が来るのですか」と思う方もいるかもしれません。

そういうことではありません。

幸せになること自体が、偏りなのではありません。

何かを犠牲にしたり、誰かを踏みにじったり、強い執着によって無理に現実を動かした結果として幸せを得れば、そこには偏りが生まれます。

けれど、偏りを生まずに幸せになることはできます。

違いは、そこに執着があるかどうかです。

執着がなければ、天秤が傾かずに幸せになることができるのです。

内側にある偏りが、外側の現実に現れる

この偏りというものは、基本的にすべて、内面の偏りが現実に現れるという構造になっています。

例えば、「こうならなければ幸せになれない」というように、一つの方向へ強く執着している状態があったとします。

そうすると、その内面の偏りが、その人の言葉や行動となって現れていきます。

これは、前回の 「因果の法則」 でお伝えした、「行為=カルマ」という話にもつながっています。

内面にある偏りが行為となり、その行為がさらに因果を生み、その偏りと連動している場所に結果として現れます。

それが、人間関係として現れることもあれば、仕事、お金、身体の状態として現れることもあります。

どこに現れるのかは、その人の持つカルマによって違います。

これが、前回の記事「因果の法則」でお伝えした因果のネットワークともつながっている部分です。

内面にある偏りが、因果のネットワークのどことつながっているのか。そのつながった先に、現実として結果が現れてきます。

偏りが大きいほど、調整も大きくなる

偏りが小さければ、それを均衡に戻すために必要な動きも小さくて済みます。

けれど、偏りが大きくなればなるほど、その調整も大きくなっていきます。

均衡へ戻るまでに長い期間がかかることもあります。数年、あるいは数十年という時間が必要になることもあります。

また、その状態を元に戻すために、多くのお金や時間、労力が必要になることもあります。

最初は小さな偏りだったものでも、それを見ないまま積み重ねていけば、やがて大きな調整を必要とする状態になることがあります。

真ん中にいることが、偏りがない状態ではない

では、偏らないためには、何事にも中立的な意見を持ったり、真ん中にいればいいのでしょうか。

例えば、何も望まず、何も反応せず、無欲であり、聖者のように振る舞えばいいのでしょうか。

そういう話でもありません。

むしろ、「偏ってはいけない」「常に冷静でいなければならない」「中庸であるべきだ」という考えに強く寄って、それらしく振る舞っているのであれば、それ自体が一つの偏りです。

見た目として穏やかであることと、内面に偏りがないことは別です。

外側の振る舞いだけを整えても、内側に「そうしなくては」という強い執着が残っていれば、その偏りはなくせません。

正負の法則と、執着の解放

私は、どうすれば偏らない人になれるかを教えているわけではありません。

見ているのは、その偏りを生んでいる執着です。

「こうでなければならない」

「絶対にこうしたい」

「これは失いたくない」

「これは認めたくない」

そうした執着があることで、人には偏りが生じていきます。

そして、その偏りが現実の中に現れ、やがて均衡へ戻るための働きが起こります。

だから、偏りだけを表面的に直そうとしても、根本的には変わりません。

執着が解放されれば、真ん中に戻ろうとしなくても、偏りそのものが生まれなくなっていきます。

正負の法則とは、偏りが生じたとき、全体が均衡へ戻ろうとする働きです。そして、その偏りを生んでいるものが執着です。

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