精神性①落とす生き方-人生の被害者ポジション

1.精神性

このシリーズでは、被害者・思考停止・搾取・支配・偽善など、知らず知らずのうちに陥りやすく、執着を生み、人生の幸福度を大きく下げてしまう状態を整理しています。

人は、無自覚のうちに何かに執着し、そのループから抜けられなくなっていきます。自分の立ち位置を問い直し、内省を深めることだけが、結果として幸福につながっていきます。

できていない他人を責めて優越感に浸っても、幸福は積み上がりません。このシリーズでは「自分は今、どこに立っているのか」その問いを持ち、より良く生きるための軌道修正の考え方を提示していきます。

精神性シリーズ↓

生き方には、

・精神性を高める生き方

・落とす生き方

があります。

精神性を落とす生き方には、

いくつかのパターンがあり、

それぞれ分かりやすい特徴があります。

この記事では、

その中でも特に多い

「人生の被害者ポジション」

について整理し、

そこから抜けて本当に幸せになる道筋

についても触れていきます。

精神性を落とす生き方とは何か

まず、そもそも

精神性を落とす生き方とは、

何なのでしょうか。

それは、

自分の人生で本来引き受けるべき現実や、

課題や問いを、

総じて自分のものとして引き受けず、

外側のせいにし続ける在り方

のことです。

その代表例が、

「人生の被害者ポジション」

です。

人生の被害者ポジションの基本構造

それは、

不幸の原因を外に置き、

自分はそれに対して

どうすることもできない存在だ

という前提で生きようとする心の在り方

です。

ここで言っているのは、

「傲慢を捨てた結果、

自分の無力さを正直に受け入れる」

といった、

執着を解いていく段階の話では

ありません。

たとえば、

自分には限界があると知ることや、

思い通りにならない現実を

引き受けることは、

ある意味では

執着がほどけていく過程でもあります。

ですが、

人生の被害者ポジションは、

それとは違います。

そうした自己理解に至る前に、

ただ逃げるように現実から目を背け、

自分の心と向き合うことを避けたまま、

原因をすべて外に置いてしまう。

そんな他責な心の在り方のことです。

被害者ポジションの例

例えば、職場、夫婦、親子の例を挙げていきます。

職場の例

上司や会社が悪いから、

自分は評価されないのだと思っている。

忙しさや理不尽さを理由に、

自分から改善案を出すことはしない。

でも、誰かが評価されたり昇進すると、

「要領がいいだけだ」

「上にゴマを擦っているんだ」と、

内心不満を溜めている。

不満は多いのに、辞める決断もしない。

動かない理由を、

環境のせいにし続けている。

本来であれば、不満があるなら、

・業務内容の改善を提案する

・評価基準を確認し、交渉する

・環境を変える選択をする

など、

自分から何らかのアクションを

起こさなくてはならないはずです。

夫婦関係の例

こんな形で現れます。

「私はこれだけ我慢してきた」

という思いが、心の中に溜まっている。

でも、本当に何が嫌なのか、

どうしてほしいのかは、

はっきり伝えていない。

察してくれない相手に腹を立て、

「どうせ分かってもらえない」

と、心を閉ざす。

その一方で、

関係を改善するための行動は取らず、

被害者の立場に留まり続ける。

本来であれば、不満があるなら、

・自分の気持ちを言葉にする

・何を望んでいるかを具体的に伝える

・それでも変わらないなら距離を見直す

といった選択をとることも

出来るはずです。

親子関係の例

親がこうだったから、自分はこうなった。

過去の環境を理由に、

今の人生がうまくいかないと主張している。

でも、

今の自分が何を選び、

何を変えられるのかは、

考えないままになっている。

共通しているのは、

「自分は被害を受けた側だ」

という立ち位置にいることで、

自分の人生の舵を握らずに済んでいる点です。

本来であれば、

過去を理由にするのではなく、

・今の自分ができる選択を考える

・親の影響と、自分の人生を切り分ける

・必要なら親との関係性を見直す

そうした作業を、

自分自身の責任として

引き受けていく必要があります。

このタイプの人の考え方・志向

自分が幸せになれないのは、

自分を傷つけた誰かのせい。

環境のせい。

生まれのせい。

過去の出来事のせい。

頭では「このままではいけない」と

薄々分かっていても、

無意識に「変われない理由」を

探し続けます。

それは、

変わらない自分、

変われない自分でいた方が、

心理的にはラクだからです。

精神性の成長には、

自分の弱さや未熟さを

直視するという、

心理的なコストが伴います。

それよりも、

そのままの自分で居続けるほうが、

心を守りやすい。

被害者でいるからこそ

守られてきた人間関係や、

周囲の同情や配慮を前提にしてきた

立ち位置を、手放さずに済む。

そうした考え方が、

この在り方の根底にあります。

「でも」「だって」で自分を守り続ける心理

口癖は

「でも」「だって」。

だって、自分は病気だから。

だって、自分は要領が悪いから。

だって、生まれ育った環境が悪かったから。

こうして、

自分が動かなくていい、

成長しなくていい理由を

積み上げていきます。

これは、

自分がこれまで

本当は向き合うべきだった課題から

逃げてきた事実を、

直視しないための

必死な自己防衛でもあります。

自己卑下は、悪意はないけどずるい在り方

「私なんてだめだから」

「どうせ誰にも分かってもらえない」

こんな言葉も、よく使われます。

一見、

自分を下げているように見えますが、

実際には

「かわいそうな自分」という立場に

留まり続けることで、

本来負うべき課題や責任から距離を取れる

悪意はないけれど、

少しずるい在り方とも言えます。

本当は、分かってほしい。

自分を受け止めてほしい。

でも、そのためには

自分から人に心を開かなくてはならない。

それを正直に人に求める素直さもない。

だから、

自己卑下という形でしか人と関われない。

「人生の被害者ポジション」の人は、

本当は人と関わりたい気持ちと、

傷つきたくない気持ちの間で

揺れているのです。

人間関係の中で起きているズレ

この「被害者ポジション」では、

上記に挙げたような

人生に責任を持つ行動を

選択することを避けたがります。

その結果、

言い訳や自己防衛ばかりが

強くなっていきます。

すると周囲からは、

「自分のことしか考えていない人」

に見えてしまう。

ここでさらに人間関係で孤立し、

「やっぱり私は分かってもらえない」

という被害者としての確信が、

強まっていってしまいます。

本当は支えてくれた人の存在が見えなくなる

正直に言えば、

このタイプは人付き合いの中では

かなり面倒な存在だと思われがちです。

それは、単に性格が悪い、や

言い訳ばかりだ、という話ではありません。

相手がどれだけ

配慮してくれていても、

それが見えなくなっているからです。

周囲の人は、

言葉を選び、

距離を測り、

気を遣い続けます。

それでも本人は、

その周囲の配慮になかなか気づけない。

被害者意識が強いと、

周りの人の優しさや

思いやりが、

見えなくなりやすいのです。

被害者ポジションを抜けるために

「誰も分かってくれない」

「私はいつも一人だ」

そう感じているときほど、

気づかなくてはならないことがあります。

それは、

そんな面倒なあなたを、

それでも気にかけ、

支えようとしてくれていた人の存在です。

自己卑下したり、

自分の殻に閉じこもることは、

そうした人たちの誠実さを、

無碍にする行為でもあります。

自分の在り方を問い続ける人だけが抜けていく

ここまで読んで、

居心地の悪さや反発を感じた人も

いるかもしれません。

でも、だからこそここまで書いています。

こういうことを

真正面から言ってくれる人は、

ほとんどいないからです。

「人生の被害者ポジション」とは、

一見、弱く守られる立場に見えます。

ですが、その見え方こそが、

この生き方を根深く、

抜けにくいものにしています。

他人を尊重できないまま、

自分だけ尊重されたい

という在り方では、

どれだけ分かってほしいと願っても、

人は離れていきます。

被害者ポジションから抜けるとは、

誰かに救ってもらうことではありません。

自分が、他人を尊重する側に

回ることです。

それも、自己犠牲的にではなく。

肚の底で、実は見返りを求めていれば、

その計算は、必ず人間関係を歪めます。

そうではなく、

相手の立場や気持ちや、

事情を誠実に想像すること。

自分が満たされるか、傷つかないか、

という視点だけでなく、

相手にとってこの関わり方は

本当に相手のためになるだろうか。

そう問い始めたとき

はじめて、

この

「人生の被害者ポジション」

という生き方から、

降りていくことができます。

精神性を高める生き方とは、

特別なことをすることではありません。

泥臭く、

今の自分の在り方、

生き方、

立ち位置を、

疑い続けること。

他人に理解されたいなら、

まず自分が他人を理解しようとする。

自分から、他人に心を開く。

愛されたいなら、

相手を罪悪感で縛ったりするのではなく、

相手を自由にしてあげることです。

そして、本当はそこにあるのに

見落としている他人の思いやりはないか、

自己を振り返る。

そのように内省する以外、

この「人生の被害者ポジション」

という生き方から

抜ける道はありません。

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