執着の解放は、一直線には進まない
ここまで、原理を知り、自他境界線を引き、コントロールを手放し、赦し、理解を手放し、そして、自分の人生を引き受けながら、在り方を選び直していくことについて見てきました。
ここまで読むと、この6つの道しるべを順番に進んでいけば、いつか執着がなくなり、「完成した自分」になれるように感じるかもしれません。
けれど、執着の解放は、そのような一直線の道や、その先にある到達点や、完成した正解へ向かう道ではありません。
一度進んだら終わり、ではない
このサイトでは、執着を大きく5つに分けています。
外から入る歪み。
人との間に生じる執着。
人間関係の恐れ。
自己価値への執着。
そして、「何者か」の執着。
それぞれの執着には、異なる構造があります。
だから、一つの執着について自他境界線を理解したからといって、すべての執着について自他境界線が引けるようになったわけではありません。
一つのことについて降参できたからといって、別のことについても同じように降参できるとは限りません。
一人の人を赦せたからといって、すべてのことを赦せるようになったわけでもありません。
その都度、また原理を見ます。
また境界線を見ます。
またコントロールしようとしていないかを見ます。
また赦しについて考えます。
そして、また自分が握っていた理解を手放します。
「分かった」が、また壊されていく
一つの執着が解放されると、「分かった」と思うことがあります。
自他境界線とは、こういうことだったのか。
降参とは、こういうことだったのか。
赦しとは、こういうことだったのか。
そうやって理解が生まれます。
けれど、別の執着に向き合ったとき、以前の理解では見えないものが現れることがあります。
そこで、「ああ、自分はまだ全然分かっていなかった」と気づきます。
これは、以前の理解が間違っていたということではありません。
その時点では、その理解が必要だったのだと思います。
けれど、その理解を完成した答えとして握ってしまえば、次に現れたものを見ることができなくなります。
だからこそ、この6つの道しるべの中には、「理解を手放す」という段階があります。
「私はもう分かっている」という理解さえも、また手放す。
そして、もう一度、今起きている現実を見る。
同じところを回っているように見えても
何度も同じことに向き合っていると、「私は全然進んでいないのではないか」と思うことがあります。
また人間関係で悩んでいる。
また境界線について考えている。
またコントロールを手放すことについて向き合っている。
また同じことを繰り返している。
けれど、実際には、まったく同じ場所に戻っているとは限りません。
以前とは違う執着に向き合っていたり、以前よりも細かな部分が見えるようになっていたり、同じテーマでも、まったく違う位置から見ていることがあります。
その姿は、円をぐるぐる回っているというより、螺旋階段を上がっていくことに近いのだと思います。
同じ方向を向き、同じ景色の近くを通りながら、少しずつ高さが変わっていきます。
だから、以前と似た問題が起きたからといって、必ずしも元に戻ったわけではありません。
6つの道しるべには、何度も戻ってくる
だから、この「道なき道」は、一度読んで終わるためのものではありません。
何か新しい執着が見えてきたとき。
同じ問題を繰り返しているように感じたとき。
自分が何かを握っていることに気づいたとき。
また、ここへ戻ってきます。
今、何が起きているのか。
どの原理から外れているのか。
どこまでが自分の責任なのか。
何をコントロールしようとしているのか。
何を赦せていないのか。
どの理解を固定しているのか。
そして、今、自分はどう在りたいのか。
そのたびに、同じ6つの道しるべを、そのときの自分で見直していきます。
完成することが目的ではない
執着を解放していくことは、すべての執着をなくし、何にも揺れず、何も迷わず、いつでも正しいことを選べる人になることではありません。
それではまた、「完成した自分」という新しい何者かを作ることになります。
そうではなく、その都度、自分が何を握っているのかを見て、必要であれば手放し、また現実を見る。
その繰り返しの中で、分離が少しずつ減り、散らばっていたものが統合され、生き方が自然に収束していきます。
そして、大いなる流れの中で、自分自身の人生を引き受けて生きていくことが、少しずつ自然になっていきます。
執着の解放とは、完成した自分になるための道ではありません。
何度でも現実を見て、そのたびに自分自身を見直し、また選び直していく道です。
だからこそ、ゼロの視点
ここまで来ると、なぜこのサイトを、「ゼロの視点」と呼んでいるのかも、少し見えてくるのではないかと思います。
ゼロの視点とは、何も知らない人になることでも、何も判断しないことでもありません。
一度理解したものを、永遠の答えにしないこと。
一度見えた自分を、完成した自分だと思わないこと。
一度正しいと思ったものを、現実より上に置かないこと。
その時々で、もう一度、今ここにある現実を見ることです。
一つの執着が解放されるたび、また理解が壊されます。
そして、「分かった」と思っていた場所から、もう一度ゼロへ戻ります。
そこから、また今の現実を見る。
また考える。
また選ぶ。
だからこそ、このサイトは、「ゼロの視点」なのです。
ゼロとは、何もない場所ではありません。
何かを固定したまま現実を見るのではなく、何度でもそこから見直すことのできる場所です。
この「道なき道」も、何かに到達するための一本道ではありません。
次は、具体的に5つの執着の分類を、それぞれ見ていきます。
