ZERO PERSPECTIVE ゼロの視点

世界の理に、耳を澄ます

03.見えることと、伝えることは別です

03|見えることと、伝えることは別です

私には、相談者の方を取り巻くカルマの絡まりと、そこから解消へ向かう道筋が見えています。

けれど、見えたものを、そのまま渡すわけではありません。見えることと、伝えることは、私の中ではまったく別の仕事です。

たとえば、その人の中にある負のカルマや、人との関係の中で起きていることが見えたとしても、それをすべてそのまま伝えることが、その人のためになるとは限りません。

ショッキングなことを、受け取れない状態で伝えてしまえば、本来なら冷静になれば自分で向き合うことのできた問題から、かえって離れてしまうこともあります。

「あなたには、こういう問題があります」

「これが原因です」

「これを解消すれば大丈夫です」

そう言い切ることは、一見すると分かりやすく、ときには相手を安心させることもあります。

けれど、その言葉そのものを新しい答えとして握れば、本人が自分の現実を見る代わりに、「私の言葉」を見続けることになります。

それでは、元の執着を解くために、別の新たな執着を渡していることになってしまいます。

伝え方まで含めて、熟練の技です

だから私は、見えているものと、それを相手にどのように伝えるかを、分けて考えています。

相談者の方が今、どのような状態にいるのか。

どのような心境で、どのような苦しみの中にいるのか。

何から伝えれば、次のことが自分で見えるようになるのか。

どのような言葉なら受け取ることができるのか。

どのようなサポートがあれば、その絡まりを自分の力で解いていけるのか。

反対に、今ここで伝えることで、新しい恐怖や執着を生んでしまうものは何か。

そうしたことまで含めて見ながら、その時点で前に進むために必要な部分を選び、一つ一つ言葉にしています。

これは、今さえ楽になればよい、という考え方ではありません。数十年先まで、その方が自分の人生を生きていけることを見据えて組み立てる、非常に繊細な技術です。

その人が前へ進める形に整える

初回セッションでお渡ししている「無意識の状態レポート」も同じです。

あれは、私に見えていることをすべて適当に書き出した一覧ではありません。

今その人がどこにいて、何が起きていて、まず何を理解すると人生が前に進むのか。

そこを見ながら、その方が今の自分の状態を客観的に理解できるよう、必要な内容を選び、言葉を整えています。

必要以上の恐怖を感じさせたり、「これをやらなければ自分は駄目なのだ」という新しい執着を握らせたりしないよう、内容も言葉も繊細に組み立てています。

ただ情報を渡すのではなく、その人が自分に起きていることを理解し、次へ進める形に整えています。

同じ答えを、全員には渡しません

セッション中の対話についても同じです。

一見すると同じような状況にいる方でも、ある方には一つの方向から伝える必要があります。

ですが別の方には、まったく反対側からのアプローチが必要になることもあります。

つまり私は、決まった一つの正解を全員に当てはめているわけではありません。

その人の置かれている状況。

現在の心の状態。

その人を取り巻く人間関係。

正のカルマ、負のカルマの状態。

どこに執着があり、何が絡まりを生んでいるのか。

それらを見ながら、その人にとって今どこを見る必要があるのか、何を伝えることが最も適切なのかを、答えのない中で判断しています。

決まったマニュアルがあるわけではありません。

その場で見えているもの、その人の反応、それまでの流れを受け取りながら、伝える内容や順番、言葉のニュアンスをリアルタイムで調整しています。

「見えること」だけに価値があるのではありません

私は、この部分にこそ、この仕事の最も難しい部分だと考えています。

単に「見える」というだけなら、正直に言うとそんなに難しくありません。見えたものを、適当に「こう見えた」と並べれば終わります。

けれども、私はそういったやり方は好きではありません。

何を伝えるのか。
何を今は伝えないのか。
どの順番で伝えるのか。
どの言葉なら、その人自身が受け取り、自分の現実を見ることにつながるのか。

本当に、ご相談者様が新たな執着を握らずに進むためには、そこまで含めて必要だと考えています。

各サービスの価格には、単に「見えたものを伝える」ということだけではなく、その人が自分の人生を前へ進められる形へと整える、この熟練の判断と技術も含まれています。

答えの持ち主にならないために

私は、相談者の方にとって「答えを知っているマスター」になりたいとは思っていません。

「私の言葉を信じていれば大丈夫」

「私に聞けば、次に何をすればいいか分かる」

そうなれば、その人は自分の頭で考えなくなり、自分自身を見る代わりに、私という人物を見ることになります。

セッションを重ねるほど思考が止まり、私の言葉が必要になるのであれば、それは私が目指しているものとは正反対です。

本来目指しているのは、その人自身が、自分に起きていることを少しずつ見られるようになり、自分の人生を引き受け、自分で選びながら幸せに生きられるようになることです。

私に見えているものを全部渡すのではなく、その人が新しい恐怖や執着を握らず、最終的には自分自身で人生を見ていけるように、伝える内容、順番、言葉まで組み立てていく。

それが、私の行っていることの真髄だと考えています。

では、なぜ私は「新たな執着を握らせないこと」を、そこまで大切にしているのか。

次の記事では、その構造について詳しくお話しします。

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