因果の法則とは
「因果」という言葉があります。仏教などでは、「カルマ」という言葉で語られることもあります。
カルマという考え方は、古代インドの思想の中で形成されてきたものだとされています。もともと「カルマ」には「行為」という意味があり、やがて、行為には結果が伴うことや、過去の行為が今の状態に影響することなどを表す考え方として語られるようになりました。
ただ、私は宗教やインド哲学について専門的に学んできたわけではありません。そうした思想を特別に意識して生きてきたわけでもありません。そのため、このページでお伝えするのも、何かの宗教や思想におけるカルマについてではありません。
このページでは、私自身がご相談者の方を見るときに、実際に「因果」や「カルマ」と呼んでいるものがどのように見えているのかについて、お伝えしていきます。
因果がネットワークのように見える
私は、人のエネルギーを見るときに、その人を取り巻く複数のものが絡み合ったネットワークのように見えます。
例えば、脳のニューロンが複雑につながっている図のように、さまざまなものが互いにつながりながら、一つの現実を形成しているように見えています。

そして、そのネットワークをたどっていくと、今その人の目の前で起きている一番表層の現実が、どこからつながってきているのかが見えてきます。
今起きている現実は、その出来事だけで突然現れたものではありません。そこには、その現実へつながる「因」があります。
原因は、本人が思っている場所にないことが多い
本人が「これが原因だろう」と思っているものとは、まったく違うところにつながっていることも珍しくありません。
例えば、投資がなかなかうまくいかないという悩みを持って、私のところへ来る方もいます。
自分では何度も改善しようとしているのに、同じようなことを繰り返してしまう。何をいくら改善しても、他に何を改善したらいいのかがもう分からない、というような状態です。
そういった方の因果を見ていくと、その投資がうまくいかない原因は、人によって千差万別です。
ある人は、身体的な悩みと関係していたこともありますし、また別の人では、身近な人間関係を見直していくことで状況が改善されていくこともあります。
本人からすれば、「どうしてそこが投資と関係するのですか」と思うようなことかもしれません。
けれど、私から見ると、それらは別々の問題ではなく、すべてが地続きのネットワークの中でつながっています。
共通しているのは執着
ただ、共通していることがあります。
結果として現れている現実そのものではなく、その手前にある「因」、つまりその人の行為の根底に執着があったことによって、うまくいかない現実が因果の「果」として起きているということです。
では、その執着をどうやって解いていけばいいのかという話に戻ると、先ほどお伝えしたように、一人ひとり必要なことは千差万別です。執着している対象が人によって違うからです。
私が因果やカルマと呼んでいるものは、こうしたものです。
良い・悪いと評価することが目的ではない
私たちは何かが起きると、「運が良かった」「運が悪かった」「相手が悪かった」「自分が悪かった」というように、目の前に現れた出来事そのものを善悪で評価しようとします。
けれど、因果を見る上で大切なのは、その出来事が良かったか悪かったかという目線で見ないことです。
見るべきなのは、今起きていることの、そこに至るまでの大枠の流れです。因があり、そこからさまざまなものがつながり、その結果として、今あなたが経験している現実が現れている。
善悪の視点があると、それをあるがまま見ることができません。あなたにとって良いことも、悪いことも含めて、すべてをフラットな目線で見ていくことが、とても大切になります。
大切なのは、「この出来事は良いのか、悪いのか」ではなく、「なぜ今、この現実が現れているのか」をフラットに見ることです。
因果は、罰や報いではない
因果やカルマという言葉は、ときに罰や報いのように語られることがあります。
確かに、人間から見れば、起きた結果が苦しいものであれば、「罰を受けた」「報いを受けた」と感じることはあるかもしれません。
また、そういったことに恐怖を感じて、「地獄に落ちるからこうしなければならない」というような理解になってしまう場合もあるようです。
ですが、原理そのものはとてもフラットなものです。
むしろ、そのような恐怖を原動力にした行為や考え方、その「因」には、新たな執着が生まれています。
物を手から離せば、重力によって下へ落ちます。落としたものが割れたり、壊れたりすることもあります。
それと同じように、ある因があり、条件がそろえば、その結果が現れる。因果の法則とは、それくらい単純な原理です。
私からお伝えしている因果やカルマとは、すべてこの単純な原理です。
因果の法則とは、原因があり、結果があるという、とてもフラットな原理です。
「カルマなんてない」としたら、消えるのか
一方で、「カルマなんて存在しない」という考え方を聞くこともあります。
これについて、私からはそうは見えていません。
むしろ、そこにあるものを見ないようにすることの背景には執着があり、それがさらに別の因果やカルマを生み出していっているように見えることもあります。
なぜ因果を見ることが、執着の解放につながるのか
この因果というものは、執着の解放と深く関係しています。
なぜなら、私に見えているこのネットワークを形成しているものの一つが、カルマのエネルギーだからです。
執着があることで、あるものとあるものが結びつく。その結びつきがさらに別のものへ伸び、その結果が別の場所に現れます。
だから、執着を解放していくときには、目の前に現れている問題だけをどうにかしようとするのではなく、その問題がどこからつながってきているのかを見る必要があります。
あなたが今悩んでいることの原因は、あなたが原因だと思っている場所にはないかもしれません。
私は、今起きている結果からネットワークをたどり、どこに因があり、どこで絡まり、今何と向き合う必要があるのかを見ていきます。
目の前に現れている現実ではなく、その現実につながっている因を見る。それが、私が扱っている基本的な考え方です。
