ZERO PERSPECTIVE ゼロの視点

世界の理に、耳を澄ます

降参(サレンダー)|コントロールを手放す

境界線を引いても、コントロールは残る

自他境界線について理解すると、「ここから先は自分の領域ではない」ということが少しずつ分かるようになります。

けれど、自分の領域ではないと分かったからといって、すぐにコントロール欲求がなくなるわけではありません。

他人には他人の人生があり、他人には他人の自由意思があります。

それでも、「変わってほしい」「分かってほしい」「こうなってほしい」という思いは残ります。

また、人だけではなく、すでに起きている現実そのものに対して、「こうではなく、こうなってほしい」と思うこともあります。

つまり、自分の領域ではないと分かっていても、なお、他人や現実を自分の望む形へ動かそうとする。

ここに、コントロールがあります。

だから、自他境界線を引いた次に必要になるのが、コントロールを手放すことです。

降参(サレンダー)とは

コントロールを手放す上で、大切になるのが、降参(サレンダー)することです。

ここでいう降参とは、何もかも諦めることでも、何もしなくなることでも、自分の人生を放棄することでもありません。

自分の領域ではないものまで、自分の望む形へ支配しようとすることをやめる。

それが、ここでいう降参です。

サレンダーは、受け入れたふりをすることではない

サレンダーという言葉は、「変えられないものを受け入れる」「起きた現実を受け入れる」「自分の苦しさに抵抗しない」という意味で説明されることがあります。

それ自体が間違っているわけではありません。

けれど、「受け入れよう」「抵抗しないようにしよう」と一生懸命、自分に言い聞かせているだけでは、コントロールそのものが手放されていないことがあります。

口では「変えられないから仕方がない」と言っていても、心の中では、まだ他人や現実を変えようとしている。

それでは、受け入れたのではなく、受け入れたふりをしようとしている状態です。

感情をなくす精神論ではない

ここでお伝えしていることは、感情抜きにして全部受け入れましょうという精神論ではありません。

怒らないようにする、悲しまないようにする、執着しないようにする、ということでもありません。

むしろ、なぜ自分は、こんなにも他人や現実を変えたいのか。なぜ、自分の領域ではないところまで、自分の望む形にしようとするのか。

そこを見ていきます。

原理を知るというのは、感情を消して冷静になるためではありません。自分の心の中で何が起きているのかを、あるがまま見るためです。

一つ目の降参|変えられないものに降参する

自他境界線が見えてくると、自分にはコントロールできないものがあることも分かってきます。

他人の心。他人の選択。他人の価値観。他人がどのように生きるのか。すでに起きた過去。自分の力が及ばない現実。

それらは、自分がコントロールできる領域ではありません。

そこで、自分の望む形になってほしい。自分が納得できる形になってほしい、と願い続けたからといって、自分の領域になるわけではありません。

他人の自由意思へ介入しようとすることも、自分に変えられない現実まで変えようとすることも、原理から見れば、自分の領域を越えています。

これは、私には変えられない。

そこに降参します。

二つ目の降参|それでも変えようとする自分に降参する

けれど、本当に難しいのはここからです。

「変えられない」と理解したからといって、すぐに「分かりました。もう何とも思いません」とはなりません。

頭では分かっていても、やっぱり他人を変えたい。やっぱり現実を変えたい。そう思います。

そこで今度は、「こんなふうに思ってはいけない」「ちゃんと手放さなければいけない」「早く受け入れなければいけない」と、自分自身までコントロールし始めることがあります。

けれど、それもまたコントロールです。

ここでもう一度、原理から自分を見ます。

他人を変えたい。現実を変えたい。自分の感情まで、自分の望む形に変えたい。

そこまでして、すべてを自分の思い通りにしようとしている。

その自分のエゴの強さを見ます。

そして、

なんて自分は傲慢なのだろう。

と理解します。

これは、自分を責めるためではありません。自分がどれほど他人や現実を支配しようとしていたのかを、そのまま理解するためです。

そして、さらに気づきます。

その傲慢さすら、自分の力では簡単に消すことができない。

分かっていても、また出てくる。手放そうとしても、また握る。受け入れようとしても、また抵抗する。

そこで起きるのが、二つ目の降参です。

変えられない現実に降参するだけではなく、それでも変えようとしてしまう自分自身のエゴと傲慢さに降参する。

それが、私が伝えているサレンダーの本当の意味です。

「受け入れる」のではなく、受け入れられていく

サレンダーが起きると、無理に現実を受け入れようとする必要がなくなっていきます。

「受け入れなければ」「執着してはいけない」「もう気にしてはいけない」と、自分に言い聞かせることが減っていきます。

なぜなら、他人や現実を変えようとする力そのものが弱くなっていくからです。

受け入れることを頑張るのではありません。

コントロールをやめた結果として、現実が、そのまま現実として見えるようになっていきます。

まだ悲しいこともあります。まだ悔しいこともあります。まだ未練が残っていることもあります。

それでも、その現実を受け入れ、現実と戦うことをやめる。

サレンダーとは、すべてがきれいに消えた完成形ではありません。苦しさや未練を残しながらも、その現実とともに在る、わびさびのあるような状態です。

サレンダーは、何もしないことではない

サレンダーは、何もしなくなることではありません。自分にできることまで放棄することでもありません。

自分にできることには、働きかけます。

たとえば経営であれば、売上を上げるために考え、施策を打ち、改善する。それは、自分の領域で行動しているということです。

けれど、自分ができることをやったあと、その結果まで自分の望む形にしようとはしない。

自分が行動できることと、その先にある結果まで支配できることは、別です。

変えられるものには働きかける。変えられないものを、変えようとし続けない。

赦しへ

サレンダーによって見えてくるのは、きれいな自分だけではありません。

他人を支配したかった。現実を自分の思い通りにしたかった。思い通りにならないことを許せなかった。そして、それをやめたくても、やめられなかった。

そうした、見たくなかった自分が見えてきます。

そこで大切なことは、その自分を責めることではなく、理解することです。

ここから、赦しが始まります。

まとめ

サレンダーとは、変えられない現実に降参することだけではありません。それでも変えようとしてしまう、自分自身のエゴと傲慢さに降参することです。

次は、赦しについて説明していきます。

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