ナラティブを握らない|あるがままを見るために
私がこれまでの記事で書いてきたことは、 一見すると、それぞれ別の話に見えるかもしれません。
人のエネルギーやカルマを見ること。
見えたものを、そのまますべて伝えないこと。
一つの執着を解くために、 新しい執着を握らせないこと。
潜在意識を、 欲を叶えるための道具として扱わないこと。
インナーチャイルドや癒しだけで終わらせないこと。
けれど、私の中では、 これらはすべて同じところにつながっています。
ナラティブを握らず、 今起きていることを、 あるがままに見ることです。
ナラティブとは何か
ここでいうナラティブとは、 自分や世界について作られた「物語」のことです。
たとえば、
「私はこんなにつらい経験をしてきた人間だ」
「私はこんなに癒された」
「私は昔よりこんなに成長した」
「私は潜在意識を書き換えたから、 これから人生がうまくいく」
「私はこういう使命を持って生まれてきた」
そうしたものです。
それが事実かどうかという話ではありません。
問題は、その物語を握り、 それを通して現実を見るようになることです。
癒しも、成長も、ナラティブになることがあります
これは、前の記事で書いた インナーチャイルドや癒しについても同じです。
「私はこんなにつらかったんだ」
「本当はこんなに傷ついていたんだ」
と気づくこと自体が悪いわけではありません。
必要なときには、 それをきちんと見ることも大切です。
けれど、
「私は傷ついてきた人だから」
という物語を握り、 その物語の中からしか現実を見なくなれば、 今度はその理解そのものが執着になります。
同じように、
「私はこんなに成長した」
「以前の自分とは違う」
「私はもう分かっている側だ」
という自己認識も、 それを握れば新しいナラティブになります。
これが、 前の記事で書いた 執着のマトリョーシカ構造 にもつながっています。
一つの物語から抜けたと思ったら、 その中からまた新しい物語が出てくる。
だから私は、 一つの執着を解くために、 新しい執着を握らせないことを大切にしています。
私が見えたものを、そのまま全部伝えない理由も同じです
私が見えていることを、 何でもそのまま伝えないのも同じ理由です。
カルマ。
その人を取り巻くエネルギー。
これから起こりうること。
そうしたものを伝えれば、 人はそこから簡単に新しい物語を作ることができます。
「だから私はこういう人間なんだ」
「だから私はこういう人生を歩むんだ」
けれど、 私が見えているものを伝える目的は、 そうした新しい物語を作ることではありません。
今、自分に何が起きているのかを見るためです。
だから私は、 何を伝えるのかだけではなく、 何を今は伝えないのか、 どの順番で伝えるのか、 どの言葉で届けるのかまで考えています。
肩書きより、何を見て、どう届けるか
私は、自分自身についても同じように考えています。
「見えないものが見える人」
そう呼べば、 そう見える部分もあるのだと思います。
けれど、 私にとって大切なのは、 その肩書きではありません。
何が見えているのか。
そこに、 どのような因果やカルマがあるのか。
何が絡まりを生んでいるのか。
そして、 それを相手にどう届けるのか。
私はそこを大切にしています。
肩書きもまた、 それを握れば一つのナラティブになるからです。
数十年先まで見据えるということ
私は、 その人が今さえ楽になれば良いとは考えていません。
今渡した言葉によって、 一時的に楽になったとしても、
本当はその言葉にすがっていないか。
その言葉を、 新しい正解として握らないか。
それを新しい自己像として、 アイデンティティにしないか。
新しい依存先にならないか。
そこまで含めて考えています。
だから、 見えているものを全部伝えることもしません。
何か一つの方法に人を当てはめることもしません。
その人に今何が起きているのかを見て、 その時に必要なものを扱います。
それは、 数十年先まで、 その人自身が自分の人生を見て、 自分で選択していける状態を目指しているからです。
あるがままを見る
結局、 私がセッションで行っていることは、 とてもシンプルです。
何か新しい物語を渡すことではありません。
「あなたはこういう人です」
「あなたの人生にはこういう意味があります」
「これが正しい答えです」
と、 新しいナラティブを渡すことでもありません。
自分の中で何が起きているのか。
現実では何が起きているのか。
自分は何を見たくなくて、 何を握っているのか。
それを、その都度、 現実と照らし合わせながら見ていく。
物語を通して現実を見るのではなく、 まず現実をあるがままに見る。
私が大切にしているのは、そこです。
そして、 自分で見て、 自分で考え、 自分で選んでいく。
何か新しい答えに依存するのではなく、 その都度、 自分自身で人生を見直していく。
ここまでの記事で書いてきたことは、 すべてそのためにあります。
