このサイトを読んでほしい人
このサイトを読んでほしいのは、
これまで人生の答えを探し続けてきた人です。
過去に一度でも、
「これが正解だ」
「これで人生が変わる」
そう思えるものに深く惹かれたことがある人です。

それは、
自己啓発かもしれません。
スピリチュアルかもしれません。
投資やビジネスかもしれません。
起業や情報商材かもしれません。
何でも構いません。
ですが、
それを学び、信じ、実践してきたにも関わらず、
どこかで違和感を覚えたことがある人です。
それはまるで、
迷路の中で出口を探し続けているような感覚かもしれません。

新しい答えを見つけるたびに、今度こそ出口だと思う。
けれど気付くと、
また同じような場所を歩いている。
そして、
再び次の答えを探し始める。
そして今、
これ以上答えを求めても満たされない
そう感じ始めている人です。
また、「ゼロの視点」と聞くと、
固定観念を外しましょう。
ニュートラルになりましょう。
中立になりましょう。
そういう話だと思われるかもしれません。
ですが、そのような意味ではありません。
私が見てきたこと
私はこれまで、
自分自身の人生、
そして多くの方との対話を通して、
人の苦しみや、
その苦しみからどのように解放されるか
を観察してきました。
その中で見えてきたことがあります。

それは、
人それぞれ、問題の表面や内容は違っていても、
人生の苦しみには共通の構造がある
ということです。
苦しみに共通する構造
それが、
その問題への解釈が変わらない限り、同じような苦しみが形を変えながら繰り返される
というものです。
それはまるで、
解けないパズルに向き合っているようなものです。

人は答えが分からない時、
同じ考え方のまま何度も解こうとします。
ですが、
見方そのものが変わらなければ、
何度挑戦しても答えには辿り着けません。
人生の苦しみも、
それに似ていると感じています。
見方や解釈が変わっていないからこそ、同じ苦しみが形を変えて繰り返されるのです。
私は、
そのように解釈が固定されてしまう背景には、
執着がある
と捉えています。
人生のテーマと執着

ここで言う執着とは、
「何かを手放せないことだけ」を意味しているのではありません。
例えば、
なぜ生きているのか。
人生には意味があるのか。
なぜ人生は苦しみを伴うのか。
自分の存在には価値があるのか。
そうした
人生や存在に関わる問いに対し、
「安心できる答えを探そうとすること」もまた、
執着の一つの現れです。
それはまるで、
「私はなぜこの海で泳ぐのか」
「私は正しく泳げているのか」
そんな答えを探しているうちに、
いつの間にか泳ぐことそのものより、
意味を探すことが目的になってしまい、
海に溺れてしまうようなものです。
そのように、
何か人生の答えを見つけなくては
安心できないと感じる理由は、
まだ理解されていない人生のテーマがあるからです。
そのためこのサイトでは、
目の前の苦しみや
問題そのものを解決することよりも、
その奥にある
人生のテーマを理解していくこと
を大切にしています。
答えを求めようとすることで生まれる執着
私は多くの対話を重ねる中で、
見えてきた一つの構造があります。
それは、
人生は、
答えを探そうとすればするほど、
正解にすがればすがるほど、
どんどんと苦しくなっていく
ということです。

人は時に、苦しさから、「人生の完成した答え」を求めようとします。
「私はなぜ生まれたのか」
「なぜ苦しんできたのか」
「どんな意味があったのか」
そうした意味を求めること自体が問題なのではありません。
人生に完成した答えを求め始めた時、
人は何かにすがり、執着が生まれます。
だから私は、
完成した答えを持とうとする態度そのものを手放すこと
が大切だと考えています。

執着の根源を見る
そのため、
このサイトでは、
答えや正解を与えることを目的としていません。
本当の意味で、
人が執着や苦しみから自由になることは、
他人や教えの中に答えがあるのではなく、
人生に起きた事実と、
それに対する自らの心の動きを観察する過程
の中で、
自ら辿りつくものだと考えているからです。

また、
どれほど優れた人物・思想・情報があったとしても、
それを信じることと、
自分自身の執着について本当に理解すること
は、
同じではありません。
もし特定の思想や教訓によって、
「真理を理解した」という
ある種の到達感のようなものが生まれるなら、
それは新たな執着となります。
だから私は、
「こう生きるべきです」
という教訓を示すのではなく、
現実に起きた事実と、
自分自身の心の動きを観察すること
を大切にしています。
なぜなら、その中から人生のテーマに気付き、
自分が何に執着していたのかを理解していくこと
それこそが、
「本当に自由になること」
だと考えているからです。
ゼロの視点
ゼロの視点とは、
固定観念を外すことでも、
中立になることでもありません。
完成した答えや、
完成した自己像を持たず、
その時々の現実を見続ける姿勢を
「ゼロの視点」
と呼んでいます。
このサイトの考え方や姿勢については、こちらにまとめています↓



