ただ、幸せになろうとすればよい
このサイトで、
記事を書き始めてから、
もうすぐ4か月が経ちます。
人が同じことを繰り返す理由
執着が生まれる構造
そこから離れていくための考え方
など
これまで、さまざまなことを書いてきました。
一通り書いてみた今、
あらためて、
感じていることがあります。
それは、
私たちは、
幸せになるために、
それほど難しいことを理解する必要はない。
ということです。
本当は、
このサイトで書いていることも、
決して難しいものではありません。
けれど、
扱っているテーマによっては、
少し複雑で難しい話のように、
見えることもあると思います。
もちろん、
自分の中で、
何が起きているのかを知ることが、
助けになるときもあります。
けれど、
すべてを理解できなければ、
前へ進めないわけではありません。
まずは、
ただ、
幸せになろうとすればよいのだと思います。
でも、幸せになろうとして、人は傷つく
人は、
幸せになろうとして生きています。
誰かを信じたのも、
新しいことを始めたのも、
何かを手に入れようとしたのも。
その先に、
今よりも幸せな自分が、
いるように思えたからです。
けれど、
幸せになろうとしたからこそ、
傷つくこともあります。
信じた人に裏切られたり。
一生懸命に取り組んだことが、
何の結果にもつながらなかったり。
自分なりに懸命に選んだはずなのに。
どうしてこうなってしまったのだろう。
そう、
思うようなこともあります。
ときには、
一つや二つではなく、
これでもかというほど、
散々な目に遭うこともあります。
そんなことが続けば、
もう何をしても変わらない。
自分の人生は、
きっとこの程度なのだ。
と思ってしまうこともあるでしょう。
けれど、
幸せになろうとして傷ついたことは、
「幸せになろうとしたこと自体が間違いだった」
という意味ではありません。
何度でも、やり直そうとすればよい
私は、
ヴィクトル・ユゴーの有名な小説
『レ・ミゼラブル』が好きです。
『レ・ミゼラブル』は、
ヴィクトル・ユゴーが1862年に発表した小説です。
19世紀のフランスを舞台に、
貧困や社会の不条理の中で、
傷つきながらも、
愛や希望を失わず、
生きようとする人々の姿が描かれています。幸せを求め、
傷つき、
さまざまなものを失いながらも、
それでも生きようとする人々の物語です。
※原作と映画版は、記事の最後にご案内しています。
人は、
いつも正しい道を、
選べるわけではありません。
間違えることもあります。
信じる相手を間違えることも、
進む方向を間違えることもあります。
自分では、
どうすることもできない事情によって、
人生が、
大きく変わってしまうこともあります。
それでも、
何度でも、
立ち上がればよいのだと思います。
すぐに立ち上がれないなら、
しばらくその場にいればよい。
立ち上がったあとに、
また同じところへ戻ってしまってもよい。
大切なのは、
傷ついた自分を、
自分まで見捨てないことです。
怖さや迷いがなくならなくても、
その自分とともに、
もう一度生きようとすることはできます。
それでも、もう一度、
ここからやり直してみよう。
と思えたなら、
そこから、
また人生は続いていきます。
人生の限界は、誰にも決められない
これまで、
何度もうまくいかなかったからといって、
これからもうまくいかないとは、
限りません。
今、
何も見えないからといって、
この先にも、
何もないとは限りません。
けれど人は、
苦しみが長く続くと、
これが自分の人生なのだ。
自分には、
ここまでしか許されていないのだ。
と、
自分で人生の限界を、
決めてしまうことがあります。
それ以上傷つかないために、
期待することをやめ、
自分から道を、
閉ざしてしまうこともあります。
けれど、
人生がどのように続いていくのかは、
最後まで生きてみなければ分かりません。
今日まで何も変わらなかったとしても、
明日も同じだとは限りません。
明日は、
何かよいことがあるかもしれません。
もちろん、
そうならないかもしれません。
これから何が起こり、
人生がどこへ続いていくのか。
それを、
今いる場所から、
知ることはできません。
人生の途中で、
その人生の限界や結末を、
あらかじめ決めることなど、
誰にもできないのです。
ただ、幸せになろうとすればよい
幸せになるために、
すべてを理解する必要はありません。
もう二度と迷わない、
完璧な人に、
ならなければいけないわけでもありません。
迷いながらでも、
間違いながらでも、
ただ、
自分が幸せになる方向へ、
何度でも、
進もうとすればよい。
うまくいかなければ、
またやり直せばよい。
生きているかぎり、
何度でも、
人は選び直すことができます。
ゼロの視点
この先、
必ず望んだとおりの人生になるとは、
誰にも言えません。
けれど、
もう何もないと決めて、
自分で道を閉ざす必要もありません。
希望を持つことは、
未来を、
楽観的に決めつけることではありません。
まだ分からない未来を、
分からないまま閉じずに、
開いておくことです。
この先に何があるのかは、
分からないのです。
今いる道が、
正しい道なのかも、
間違っているのかも、
どこへたどり着くのかも、
到底、
知りえない。
それでも、
今日を生きて、
また一歩を踏み出してみる。
幸せになるために。
それだけでいい。
「ゼロの視点」
が持っているのは、
「きっとうまくいく」という確信ではありません。
結果を保証する根拠も、
未来の完成図も持っていません。
それでも、
未来を知ったことにせず、
人生を終わったことにもせず、
歩いていく。
だから、
「ゼロの視点」なのです。

何かを知っている位置でも、
何かを達成した位置でも、
人生を支配できる位置でもない。
まだ何も決まっていない。
「ゼロ」に立ち、
分からない世界へ、
もう一度足を踏み出す。
今回の記事は、
実は、
「ゼロの視点」そのものを、
最も平易に書いているのかもしれません。
構造を理解することが、
ゴールではない。
すべてを手放した完成者になることも、
ゴールではない。
間違えても、
傷ついても、
何度でもゼロに戻り、
また幸せになろうとする。
今日を生きて、
また明日を生きてみる。
自分なりに一生懸命、
生き抜いてみる。
そうして最後まで生きた先に、
これでよかったと思える人生が、
残っているのかもしれません。
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