「ゼロの視点」で見る、執着の全体像

【3】執着の解放

執着を全体像から見る

この記事では、

ゼロの視点で見ている、
執着の全体像をまとめています。

このサイトにも、
少しずつ記事が増えてきました。

それぞれの記事では、

さまざまな執着や、
そこから生じる問題について、

個別に解説しています。

ただ、

一つひとつの記事だけを読んでいると、

「これらは、どうつながっているのか」
「自分は今、何に向き合っているのか」
「なぜ、一つの問題が終わっても、また別の問題が出てくるのか」

全体の構造が、
分かりにくい
かもしれません。

そこで、

執着の構造を、

一度、全体から見渡すために、

この記事を置いておきます。

「この順番で進めばいい」というものではない

ただしこれは、

「この順番で進めば、幸せになれる」

というロードマップではありません。

執着を解くプロセスや、
必要な対話は、
一人ひとり違います。

全員が同じ問題を持ち、

同じ順番で向き合い、

同じ理解をし、

ひとつの同じ「正解のゴール」へ、
たどり着くものではありません。

ゼロの視点で見ている、執着の全体像

ゼロの視点では、

執着には、
「深さ」があると考えています。

私が現在、
整理している構造を、

最も深いところから見ると、

何者かの執着(最も深い層)

自己価値への執着

居場所への執着(人間関係に関わる恐れ)

人との間に生じている執着

外から入る歪み(最も表層)

という構造になります。

一番深いところにあるものが、

より表層にある、
さまざまな問題へと派生し、

さらに発展して、

私たちが日常で認識できる、
具体的な苦しみや問題として現れていきます。

執着の解放は「ステージクリア型」ではない

ただし、

この構造を見るうえで、
大切なことがあります。

それは、
この構造は、

「一つ終わったら、次へ進む」
のような、
「ステージクリア型」の構造ではない

ということです。

例えば、

外から入る歪みを解いた

だから次は、
居場所への執着

それが終わったら、
自己価値への執着

最後に、
何者かの執着

というように、

一つずつゲームのようにクリアしながら、
一直線に進んでいくものではありません。

構造としては、

まず、

表層に現れている執着の中には、
より深いところにある執着が含まれています。

※関係性を記号で表すと、

外から入る歪み ⊂ 人との間に生じる執着 ⊂ 居場所への執着 ⊂ 自己価値への執着 ⊂ 何者かの執着

という構造です。
(※「⊂」は、左側のものが、右側のものに含まれていることを表します。)

つまり、

外から入る歪みがある場合、
必ず、より深い執着も含まれている


という関係です。
一方で、

何者かの執着があるからといって、
必ず、
外から入る歪みまである、

という意味ではありません。

このように、
現実で起きる一つの問題の中に、

外から入った価値観も、
人間関係で生じた執着も、
居場所の問題も、
「私には価値があるのか」という問いも、
「私は何者なのか」という問いも、

全てが、
重なって存在しています。

そして、

もう一つ大切なのは、

一度静かになった執着が、
その後、二度と現れないわけではない

ということです。

深い執着から、もう一度、執着が枝葉を伸ばすことがある

例えば、

ある時点では、

外から入る歪みも、
人間関係の恐れも、
居場所への執着も、

ほとんどなくなっている。

その人の中に残っているのは、

「私は何者なのか」

という何者かの執着や、

「私には価値があるのか」

という自己価値への執着だけ、

という状態だったとします。

その状態で、
日々を営みながら、

会社や仕事、
自分にとって大切なものを、

築いていく。

そこから、

自分の居場所を、
その仕事に求めるようになったり、

それを失うまいと、

人間関係を、
歪んで見るようになったりする。

というように、

もともと深いところに残っていた執着から、
もう一度、枝葉を伸ばし、


それまでなかった執着を、
新たに握ることがあります。

つまり一度、
表層の執着が静かになったからといって、

その人が今後もずっと、

深い執着だけを、
扱えばいい状態になるわけではありません。

一度得た理解から、新しい歪みが生まれることもある

別の形もあります。

例えば、

自他の境界を、
引けるようになり、

「私は私、他人は他人」

と、
精神的に自立して生きられるようになったとします。

これは、
一つの大きな変化です。

しかし、
そこで立ち止まり、

「この生き方でいい」

という理解を固定すると、

次第に、

「他人の意見は必要ない」
「自分の判断だけでいい」

と、

客観的な意見を、
取り入れられなくなることがあります。

例えば、
病気になったとき、

SNSで、

「薬や一般的な治療に頼るべきではない」
「自然療法だけで治すべき」

という考え方に出会ったとします。

その考えを、
「これが正しい」と握るようになれば、

目の前で、
実際に何が起きているのかを見ることや、

医師や家族などの、
客観的な意見を聞くことが、

少しずつ、
できなくなっていきます。

これは、
自分で考えているように見えて、

実際には、

外から入ってきた一つの考え方を、
正解として握り、

その歪みを通して、
現実を見るようになっている状態です。

つまり、

一度、
表層の執着が静かになっても、

その後に得た理解を固定することで、

それまでなかった執着や歪みが、
新たに形成されることがあります。

だからこそ、

「私はもう理解したから、大丈夫」

と過信していると、

その理解をもとに、

新たな執着を握ることは、
普通にあるのです

深いところから解けばいいわけではない

ここで、

「すべてが一番深い執着につながっているなら、
最初から一番深いところを解けばいいのではないか」

と思うかもしれません。

しかし、

深いところから派生しているからといって、
深いところから解ける構造ではありません。

構造として見ると、

深いところにある執着が、

より浅いところに、
さまざまな問題として現れています。

しかし、

実際に執着を解いていくときは、
その逆です。

今、

自分の「現実」の中に、
何が現れているのか。

何に苦しみ、
何を恐れ、
何を握っているのか。

必ず、

「現実に何が起きているのか」

から向き合う必要があるのです。

すると必然的に、

一番表層に現れている問題(=表層の執着)に、
向き合うことになります。

そして、

表面に現れているものを、
一つずつほどいていく中で、

その奥にあったものが、
ようやく自分でも、
はっきりと意識できるようになる。

そのような構造です。

執着を解くルートは、「あるけれど、ない」

ここまで、

執着には深さがあり、

構造としては、
深いところから表層へ現れる。

一方、

実際に解いていくときは、
表層から深いところへ向かう。

という話をしてきました。

そういう意味では、

執着を解いていくための、
一つの「ルート」はあります。

しかし、

ここには、
大きな矛盾があります。

この記事を読んで、

「なるほど。
執着はこういう構造なのか」

と理解する。

ここまでは、
問題ありません。

問題は、

「では、
この順番で解いていけばいいんだ」

と、

その理解を、
「これが正解だ」と固定した瞬間です。

「正解」を握った瞬間、新しい執着が生まれる構造

「私は今、この段階にいる」
「この順番で進めばいい」
「次は、この執着を解けばいい」

そうやって、

自分なりに理解したことを、
正解として握ってしまえば、

今度は、

「正しいルートを進めばいいんでしょ」

という、
新しい執着が生まれます。

すると、

執着を解こうとしているのに、

皮肉なことに、

新しい執着を握る。

既存の執着を解こうとしながら、
並行して、新しい執着を生み出していく。

という、

矛盾した状態に入ります。

「わかった」が、次の執着になる

さらに難しいのは、

本人には、
それが新しい執着が生まれているようには、
見えにくい

ことです。

むしろ、

「構造がわかった」
「自分が何に取り組めばいいのか、理解できた」
「だから私は、ちゃんと自分と向き合っている」

そして、

自分は正しく理解できている
よし、これで大丈夫だ


という感覚になります。

つまり、

執着を解くために、
新しい理解を得る。

その理解が自信となり、
正解への万能感へと変わる。

そして、
視野が狭くなっていく。

このように、

執着を解くために得た理解そのものが、
次に新たに握る執着になることがあります。

私はこれを、

マトリョーシカのような構造

として見ています。

マトリョーシカ構造

一つ開けたら、
その中にまた同じ構造がある。

そして、

その中にも、
また同じ構造がある。

この状態に入ると、

本人は、

「自分はもう、分かっている」

と思うからこそ、

その構造に、
気づきにくくなります。

執着の解放とは、

勉強や学問のように、

知識を増やし、
理解を積み重ねれば、

そのぶん前に進んでいる、

というものではありません。

肩書きも、
これまで収めてきた成功も、

一切関係がありません。

むしろ、

「私は分かった」
「もう理解している」

と、
自分の理解を固定した瞬間、

その理解によって、

今、現実に起きていることが、
見えなくなることがあります。

「自分が理解したことの方が、
今ここで起きていることよりも正しい」


そうなったとき、
それまで見えていたものまで、
見えなくなっていきます。

このマトリョーシカ構造に入る根には、

傲慢さがあります。

だから、

昨日まで正しかった理解でさえ、

今日の現実を見る邪魔になったら手放す。

そのことが、
大切なのです。

それでも、この全体像を置く理由

私は、
このサイトを作る前に、

この矛盾について、
何度も考えました。

執着の構造を伝えれば、

その構造を正解として、
新たな執着を握る人が出てくるかもしれない。

では、
何も伝えなければいいのだろうか。

けれど、
何も知らなければ、

そもそも、

自分の中で、
何が起きているのか。

なぜ、
同じような問題を繰り返しているのか。

それを見るための、
手がかりさえ持てないことがあります。

だから私は、

こうして全体像を示すことにも、
意味があると考えています。

ただし、

伝えることで生まれるものと、
伝えなければ見えないもの。

この矛盾を、
完全になくすことはできません。

人は、

何かを理解し、
それを新しい答えとして握ることもある。

そしてまた、

目の前の現実にぶつかることで、
それまで見えていなかったことに気づく。

そうやって、

現実にぶつかり、
時には間違え、

それまでの理解を、
壊しながら進んでいく。

私自身も、
その繰り返しの中にいます。

だから私は、

そうした不完全さも含めて、
このサイトを運営しています。

正解がないように感じたら

ここまで読んで、

「では、結局どう進めばいいのだろう」

と感じた方も、
いるかもしれません。

特に、

勉強や学問、
仕事や資格など、

何かを理解し、
一つずつ課題をこなし、

レベルアップして
次の段階へ進む、

という方法に慣れている人ほど、

この構造は、

「正解がなさすぎる」

ように見えると思います。

その通りです。

原理とは、
そもそも正解がないもの

です。

ちなみに私自身、

この世界の原理や、
人の無意識というものに対して、

到底、すべて理解できるものではない

そう感じています。

だから、

このサイトに書いていることは、
私自身の頭の中にあるものですが、

それを答えのように認識している、
というわけではありません。

まず、
理解する。

次に、
試してみる。

そして、
実際に起きていることを見ながら、
必要であれば理解を修正する。

その繰り返しの中で、
今、見えているものを置き続けている。

それだけです。

そう聞くと、
さらに、

「何を目指して、
どこへ向かえばいいのか分からない」


と感じる人も、
いるかもしれません。

その場合は、

一旦、
ここまでの話を全部忘れてください。

必要なのは、

今、

自分の目の前の現実に、
心がどう反応したか。

そこに、
ただ向き合う。

たとえば、

今日、誰かの言葉に強く反応した。
何かを失うことが怖くなった。
自分の正しさを証明したくなった。

そのときに、

「これは何の執着だろう」

と分類する必要はありません。

なぜ今、私はこれを握っているのだろう。

まずは、
心の動きを見る。

それで十分なのです。

セッションでは、「これまでに理解したこと」も含めて見る

私とのセッションでも、

見るのはただ、
今、

その人の現実に、
何が起きているのか。

どういう心の動きが、
起きているのか。

何を握っているのか。

それだけです。

同じひとつの構造に沿って、

「あなたは今ここです」
「次はこれを解きましょう」

と、
進んで行くものではありません。

そして、

「何を握っているのか。」

それは、

過去から握ってきた執着だけとは、
限りません。

「私はこんなに理解してきた」
「私はこんなに頑張ってきた」
「次はこれを解けばいいんだ」

という、

自分と向き合う中で得た、
新たな理解そのものを握っていることもあります。

その場合には、

その理解も含めて、
もう一度、ゼロから見ていきます。

必要であれば、

それまで正しいと思っていた理解そのものを、
一旦すべて壊し、

更地になることもあります。

ゼロの視点では、
何を理解したのかだけではなく、

その理解を、
今、
その時点で、
どう握っているのか。

そこまで含めて、
見ています。

それぞれの執着について

この記事では、

それぞれの執着が、
どのような関係にあるのか。

その全体の構造について、
大まかに説明しました。

個々の執着については、
それぞれの記事で詳しく解説しています。

①外から入る歪み(最も表層)

②人との間に生じている執着▼

③居場所への執着(人間関係に関わる恐れ)

④自己価値への執着▼

何者かの執着(最も深い層)

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