自己価値への執着

④自己価値への執着

自己価値への執着とは

自己価値への執着とは、

「私には価値があるのか」

という問いを持ち、

その答えを、
確かめようとする執着です。

ここでいう「価値」とは、

誰かから評価されているか。
社会的に成功しているか。
人より優れているか。
必要とされているか。

といったことを、
指しているのではありません。

むしろそれらは、

外側から入った価値基準に、
振り回されることや(外から入る歪み)

認められたい。
嫌われたくない。
居場所がほしい。(人間関係の恐れ)

といった、

自己価値への執着よりも、
手前にある構造です。

自己価値への執着とは、

そうした執着が、
ある程度静かになったあとに、

残る問いです。

人と比較する必要もない。
誰かから認められなくてもいい。

自分の居場所を、
誰かに求めなくてもいい。

孤独であっても、
自分の人生を歩いていける。

それでも、

「私という存在には、
ちゃんと価値があるのか」

という問いが、
どこかに残っている。

ゼロの視点では、

このように、

自分に価値があるのか、
ないのかという問いに、


答えを求めようとする状態


を、
「自己価値への執着がある状態」
として扱います。

自己価値への執着があると

自己価値への執着があると、

もう、

人と比較したり、

他人から認められたりすることに、
それほど意味を感じなくなっている。

人間関係にも、
振り回されない。

自分なりの生き方を見つけ、

やるべきことを、
やっている。

ある程度、

自分の人生にも、
満足している。

方向性が、
間違っているとも感じない。

そのように、

自分の人生を、
自分なりに歩めている状態であっても、

それでも、

「まだ何かが足りない」

「これで終わりではない気がする」

そんな感覚が、
どこかに残る、

という状態になります。

なぜか、問いを止められない

自己価値への執着と、
向き合う際に、

大切なのは、

自分に価値があると、
思えているか。

あるいは、

自分に価値がないと、
思っているか。

という視点ではありません。

仮に、

「自分には価値がある」

と思えていたとしても、

それでも、

「まだ何かが足りない」
「どこか未完成な気がする」

という感覚が残り、

問いが終わっていないこともあります。

大切なのは、

「価値がある」
「価値がない」

という答えではなく、

なぜ、
価値にこだわっていないはずなのに、

「私には価値があるのか」
という問いから離れられないのか。

ということです。

手放したはずなのに、
執着が形を変えて現れるマトリョーシカ構造▼

自己価値の執着との向き合い

ゼロの視点では、

「私には価値があるのか」

という問いに、

答えを出すことを、
目的としていません。

「あなたには価値があります」

と伝えることでも、

「自分には価値がある」

と思えるようになることでもありません。

見ていくのは、

なぜ、
「私には価値があるのか」
という問いを握っているのか。


その問いが、
自分の中に残り続けている構造です。

ゼロの視点では、

価値があるのか、
ないのかという答えを出すのではなく、

その構造を整理しながら、

自己価値への執着を、
少しずつ解いていく対話を行っています。

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