理解するなと言ったのに?
昨日の記事で、
「原理を理解しようとするな」
という話を書きました↓

私は今でもそう思っています。
原理を覚えることも構造を学ぶことも、
本質ではありません。
ですが一方で、土台は必要とも思っています。
「矛盾している」
と思った方もいるかもしれません。
今日は、
なぜ私が本サイトを運営するのか
その理由を書いてみようと思います。
何も共有されていなかった頃
私は過去、
ブログも記事もない状態で、
対話だけを行っていた時期がありました。
紹介や口コミで人が来るのです。
紹介してくださる方は、
本当に一生懸命伝えてくれていました。
「全く思ってもいない視点だった」
「人生の見え方が変わった」
「腑に落ちた」
「楽になった」
そう伝えてくださっていたようです。
ですが、どうやらそれだけでは伝わらないものがあるようでした。
実際、
「見える人だと聞いて来たのに」
「なぜ自分を振り返らなければいけないのか分からない」
と言われたことがあります。
時には、
「あなたのせいでラクになるどころか余計に苦しくなった」
「あなたの見ているものは、間違っている」
「気分が悪い」
と言われたこともありました。
また、別の方からは、
「見えないものが見えるなら、私の邪魔になっている障害を不思議な力でどけて欲しい」
「以前そういうことが出来る人にやってもらって本当に人生が好転した」
と言われたこともあります。
ですが、その方が求めているものと、私が見ているものは違っていました。
私は、都合の悪い現実を消すことや、問題を取り除くことを目的にしているわけではありません。
そのため、話がうまく噛み合わないこともありました。
理解したこと
当時の私は、
「なぜその発想が出るのか。」
を、理解しようとしていました。
なぜ自分を振り返る必要を感じていないのか。
自分は変わらずに、結果だけを求めるのは、どこからくるものなのか。
考える中で、やがて理解したことがあります。
早く現実を変えたい。
嫌なものを無くしたい。
思い通りになってほしい。
苦しみから早く抜け出したい。
そう考える人のは、とても自然だということです。
私が出会った人たちだけが特別だったわけではありませんでした。
むしろ、それが人間の本来の願望であり、だからこそ争い事や苦しみが絶えない。
だから、「私には分からない」で切り捨てるのではなく、理解が必要なのかもしれない。
そう思うようになりました。
人間は不足感がデフォルト▼

だから先に土台を置くことにした
そこで私は思いました。
まず先に伝えておこう、と。
私はどのような視点で物事を見ているのか。
何を見ているのか。
どんな前提で対話をしているのか。
それを先に公開しておいた方がいい。
そう思ったのです。
だから記事を書き始めました。
私は、人生を思い通りにする方法や、都合の悪い現実を消す方法をお伝えしているわけではありません。
なぜ人生が思い通りにならないのか。
人は何に囚われるのか。
執着とは何か。
そうした話が中心です。
ですが本来、これらは知識として覚えるためのものではありません。
自分の人生に照らし合わせて初めて意味を持ちます。
だから私は、まず土台を置いているのです。
原理は答えではない
でも、昨日の記事で書いたことは変わりません。
原理は答えではありません。
構造も答えではありません。
それらは、自分を見るための鏡です。
私は、その鏡を先に置いています。
ですが本当に大切なのは、鏡を学ぶことではなく、鏡に映っている自分を見ることです。



