はじめに
この記事は「執着の解放シリーズ」の第6回です。
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今回も「自分への執着」のお話です。
ただし、
これまで扱ってきた執着と切り離されたものではなく、
むしろそのさらに奥にあるテーマです。
そのため、
外的干渉による執着や、
他人や物事への執着、
他人から執着される構造、
人間関係への恐れが整理されていない状態では、
少し理解しにくい部分もあるかもしれません。
まだ読まれていない方は、
先にそちらの記事から読んでいただくことをおすすめします。
執着の解放シリーズ▼

今回は、
前回の「人間関係への恐れ」を超えた人が次にぶつかるテーマ、
成功しても終わらない苦しみ|自己価値への執着
についてお話していきます。
この記事を読んでほしい人
今回の記事は、
人から認められたい。
評価されたい。
必要とされたい。
そうした気持ちに振り回されている人というよりも、
むしろ、
ある程度そうした段階を通過したと感じている人に向けたお話です。
自分と向き合ってきた。
弱い自分や未熟な自分も認められている。
人間関係にもそこまで振り回されることもない。
他人との境界線を引き、他人は他人、自分は自分だと感じる。
そして、
他人の評価より、現実を見て、できることを実行するのみ。
地に足を付けて、自分の人生に責任を持つ。
そうした考え方を持ちながら、
現実の中を歩いている人もいると思います。
もしそのような状態で、
やるべきことをやり、
家族や職場でも感謝されている。
ある程度満たされているし、
自分に満足している。
方向性が間違っているわけではない。
でも、何かが「未完成」な気がする。
そう感じることがあるのであれば、
今回の話は関係があるかもしれません。
生きづらさを超えたのに
現代では、
様々な情報が溢れています。
その中で、
生きづらさや、
人生の上手くいかなさを抱えていた人が、
自分と向き合う。
内省に取り組む。
そうしたことを実践していることも少なくありません。
実際、
それによって楽になる人もいます。
自然体の自分を受け入れられるようになった。
そういう変化もあるでしょう。
そして次は、
自分なりの生き方を見つける。
自分なりの答えを見つける。
そんな段階へ進む人もいます。
私は存在するだけでいい。
自分の使命を生きていこう。
人の役に立てることをしていこう。
現実の中で着実に歩いていこう。
人によって、
しっくりくる生き方は様々です。
その中で、
人と比較せず、
承認を求めず、
やるべきことをやり、
納得のいく人生を歩めている。
なのに、
それでもどこかで、
「このままでは未完成な気がする」
そんな感覚が残ることがあります。
問題はもっと深い部分にあるかもしれない
もちろん、
そうした自分なりの生き方を持つこと自体が悪いわけではありません。
実際にそれによって、
人生が良い方向へ進むこともあるでしょう。
ですが、
ここで少し、
立ち止まって考えてみてください。
方向は間違っていないと分かっていても、
どこか未完成な感覚があるなら、
実は、
パズルのピースがどこかズレているのかもしれません。
そして、そのパズルを解く前には、
人生の大きなテーマにぶつかることがあります。
それが、
「私の存在には、本当には価値があるのか」
という問いです。
なぜ分かっていても変われないのか
頭では分かっているのかもしれません。
自分の価値を気にするのはナンセンス。
そんなことはもう理解している。
と。
でも人生は、
そのように理解しただけで
迷路を抜けられるほど、単純ではありません。
なぜなら、そこには「執着」があるからです。
その執着が解けない限り、
同じ苦しみは、形を変えながら繰り返される構造です。
表面の解決では苦しみが終わらない根本的な理由▼

問いの奥にあるもの
多くの場合、
その執着は人生をかけて理解していくほど大きなものです。
だから、
執着に気付いたら終わり、
という単純な形では終わりません。
執着とは、理解が深まることで、
少しずつ役目を終えていくものです。
私とのセッションでは、
あなたの人生に価値があるかないかを判断することは行いません。
また、「あなたはそのままで価値がある」と伝えることを目的としているわけでもありません。
執着の根源は何だったのか。
そうした構造を整理しながら、
少しずつ執着を解いていく対話を行っています。
次回は、自己執着の最も深いレイヤーについてお話していきます。






