大いなる流れに乗るとはどういうことか

③降参(サレンダー)

「大いなる流れ」シリーズのご紹介

この記事は、
「大いなる流れ」全5回シリーズの第3回です。

シリーズ全体はこちら▼

どうやって自分の道へと進むのか

前々回の記事では、

「できる」「できない」を、
自分の頭の中だけで決めることはできない


という話を書きました↓

前回の記事では、

数ある可能性の中から、
自分にとっての正解を見極め、選び取る。

そういう物の見方から、
一度降りてみる、


という話も書きました。

では、

できることも、
できないことも、

最初から自分が知っていて、
正しく選び取れるわけではない。

だとしたら、

人は、どうやって
自分の道へと、進んでいくのでしょうか。

私はそれが、

「大いなる流れに乗る」

というだと思っています。

自分の力だけで、道をつくるわけではない

ただし、

ここでいう「大いなる流れに乗る」は、

何もしないで、

運命に身を任せることでも、

「宇宙の流れに任せていれば、
うまくいく」

という話でもありません。

自分というものを、
現実の中で見ていく。

すると、

できることと、
できないことが見えてくる。

その中で、

できないものが、
少しずつ削ぎ落とされていく。

そして、

今の自分に残っているものを、
ただ、やっていく。

結果まで、
自分の妄想
決めようとしない。

そうやって、

自分を取り巻く現実の秩序に、


自分を沿わせて生きること。

その中で、

いろいろなものが重なり、

自分一人の力だけではなく、
物事が動いていくこと。

それが、

「大いなる流れに乗る」

ということだと感じています。」

流れついた先に、ゼロの視点をやっている

たとえば、

私が今この「ゼロの視点」をやっているのも、

「数あるものの中から、
自分でベストのものを選びました!」

という感じではありません。

なんというか、

今、目の前にあるのがこれだから。

今の自分が取り組むものは、
これなんだろうな。

という感覚があります。

流れついた先がここだったから。

今の自分に残されているものは、
これなんだろうな

という感覚もあります。

私は、

過去に普通に会社員もしていました。

だから、
能力だけを取り出して考えれば、

ほかにも、
できる仕事はあるのかもしれません。

でも、
今の自分が置かれている現実を見ると、

長い社会人ブランクもあるし、
年齢も重ねています。

今から、
数ある仕事の中から、
いろいろ選べる立場かといえば、

私が現実的に選べる働き方は、
パートなどに限られてくるのかもしれません。

そうやって、

自分に何が残されているのかを、
現実の中で見ていくと、

今の私に残っている選択肢は、
それほど多くありません。

自分で選んだというより、

いろいろなものが削ぎ落とされていって、

今の私に残っているのが、
これだった。

という感じです。

だから、

ただ、
これをやってみるだけです。

そして、

その結果がどうなるのかなんて、
誰も知らない。

やってみないと分からないから、
やっているだけです。

「惰性ですか」と言われたら、そうかもしれない

「それって、惰性ですか」

と言われてしまうかもしれません。

そうかもしれません。

でも、

「よし、やるぞ!」
とやる気を持って何かに取り組んで、

それがうまくいったとき、
その後の行動が、
狂いやすいものだと思います。

例えば、

トレードなら、
「ほら、自分の見立てが合っていた」

起業なら、
「ほら、自分が有能だから」

のように感じたとき。

快感を感じて、
ドーパミンが出て、

そこから、
お金に飲まれたりしてしまうかもしれません。

トレードならドーパミンが出て、
もっと大きく賭けるようになるなど。

人は、万能感があるとき、
狂いやすいものだと思います。

逆に、

惰性で、

「もうこれしか残っていないから、やる」

くらいの温度の低さだと、

うまくいったときにも、

「大きな流れが、そこまで連れていってくれた」

という感覚になります。

私は、
他にできない、
不器用である、

その中で、

ただできることを、
やっていただけ。

セッションも「私が変えた」とも、「相手だけで変わった」とも思わない

セッションも、
そんな感じです。

「ほら、私があなたを変えたでしょ?」

とは、
私は思いません。

でも、

クライアントの方が、
自分だけで変わったとも思いません。

その出会い。

話した内容。

そのときのフィーリング。

その人の中にあったもの。

いろいろな要素が重なった結果の、
調和なのだと思っています。

だから、

私のお陰でも、
相手だけの力でもない。

「大きな流れがそこまで連れて行ってくれた」

と感じます。

トレードも、「これしかない」から繰り返す

トレードなら、

「結局、
自分の性格や、
ほか様々な要素から、

自分はこれしかできないから、
うまくいこうがいくまいが、
これを繰り返していくしかない」

という感覚です。

上手な人は、

一つの手法を深掘りしているように見えるかもしれません。

でもそれは、
正確には、

「数ある手法の中から、
この優秀な手法を選び抜いた」

というより、

結局それしかなかったから、
やっているだけ。

そして、

うまくいったとしても、

すごいのは自分ではなく、

相場が、
そう動いたから。

私が知っている、
うまくいっているトレーダーの人は、

そんなふうに言います。

「ほら、こんな自分ってすごいだろ」

とは言いません。

大いなる流れの先に、聖杯があるわけではない

大いなる流れに乗るとは、

そういう感覚なのだと思います。

いろいろ書いたので、

「結局、どういう感覚なんだよ」

と思われてしまうかもしれません。

でも、

これは、

「こういうものですよ」

と一言で言えるものではないです。

もし一言で、

「ほら、これが正解ですよ」

というものがあるとすれば、

それは「外から入る歪み」そのもので、

Want this.(これを手に入れろ)

Believe this.(これを信じろ)

Stay here.(ここにいろ)

になってしまいます。

外から入る歪みについてはこちら▼

聖杯なんて、
外にはないのです。

昔のことわざに、

「残り物には福がある」

という言葉があります。

これは、

あながち間違いではないな、
と思っています。

何者かになろうとしたり、

自分の価値を証明しようとしたり、

いろいろなものに翻弄されながら、

「結局、どれを選べばいいんだ」

と探し続けるのではなく、

実際にやって、
確かめて、

できないものが削ぎ落とされていったら、

自分にできることが、
それしか残されていなかった。

綺麗にまとまった言葉ではありませんが、

雑に言うと、

大いなる流れに乗るっていうのは、
多分、こんな感じです。

続きの記事はこちら▼

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