こちらは本編ではなく、当時を振り返って思うことについての補足です。
少しずつ理解していったこと
当時、
どうしても理解できなかったことがあります。
それは、
なぜ家族を置いてまで、
その道を進まなくてはならないのか。
ということでした。
私は当時、
幸せを壊したかったわけではありません。
むしろ、
守りたいと思っていました。
ですが、
受け取っている感覚を通じて、
少しずつ理解していったことがあります。
現状を守ることだけでは、
見えてこないものがある。
その流れを、
止めてはいけない。
なぜならば、
私には私の、
夫には夫の、
子どもには子どもの、
それぞれが向き合う
「人生のテーマ」があり、
人生は、
そのために必要な配置になっている。
時間をかけて少しずつ、
それらの概念を受け取っていきました。
ですが、
それを理解したり、
受け入れられるかというと、
全くそうではありませんでした。
子どもを置いて家を出るなんて、
どうしても受け入れることはできませんでした。
だから私は、
最後まで抵抗しました。
今振り返って思うこと
現在も、
「あの選択は正しかった。」
そう証明することはできません。
それは、
きっと死ぬまで、
分からないのだと思います。
ですが、
あの体験を通して、
一つだけ、
深く理解したことがあります。
人が必死に守ろうとする幸せも。
肩書も。
資産も。
家も。
家族という形も。
もちろん、
どれも大切なものです。
ですが、
それらは
人生の本質そのものではない。
ときに、
失われることさえある。
この世に確かなものなど、何もない。
だから、
人が「絶対に失ってはいけない」と思っているものも、
本当は、
永遠に握り続けられるものではない。
そのことだけは、
あの体験を通して、
深く、
感覚的に理解したように感じています。
現在の私が思うこと
夫とはその後、
お互いのこれからの人生のことも含め、
何度も話し合いを重ねた結果、
それぞれの人生を歩むことを選びました。
また、
子ども達については、
現在は私と共に暮らしています。
振り返ると、
現在の活動は、
決して私一人の力で生まれたものではありません。
夫には、
夫の覚悟と決断がありました。
子ども達にも、
子ども達の寂しさがありました。
そして、
私たちを支えてくださった方々にも、
それぞれの思いや葛藤があったのだと思います。
私は、その方々への感謝を忘れたくありません。
苦しい時期を支えてくださった多くの方々。
その存在があったからこそ、
私はここまで歩いてくることができました。
だから現在の活動も、
私一人が作り上げたものではなく、
多くの人との関わりの中で、
少しずつ育まれてきたものだと思っています。



