「できる」「できない」を、あなたが決められるわけではない|物事を知った気にならず、あるがまま見るとは

③降参(サレンダー)

「大いなる流れ」シリーズのご紹介

この記事は、
「大いなる流れ」全5回シリーズの第1回です。

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まだ知らないことを、「できない」と決めつける

人は、

本当はまだ分かっていないだけのことを、

「自分にはできない」

と決めつけることがあります。

本当はただ、
やり方を知らないだけ。

どのようにすればよいのかが、
ちゃんと分かっていないだけ。

うまくいく保証がないのが、
怖いだけだったりします。

その状態は、

できるか・できないか以前に、

まだ何も知らない「無知な状態」です。

それなのに、
人は、

「自分にはできない」

と、
始める前から決めつけてしまうことがあります。

それには、
いろいろな理由があるのでしょう。

怖いから。
失敗したくないから。
恥をかきたくないから。

本心では、
そう思っているのかもしれません。

もちろん、

本当の理由が何なのかは、
人によって違います。

ただ、

ときには、

その理由そのものが重要なのではなく、

「できない」と結論づけて、
問いを閉じるための言い訳が、
必要になっているだけなのかもしれません。

本当はまだ、

できるのか、
できないのか、

何も分かっていない。

それなのに、

何かしらの言い訳で、

「できない」

という答えを出すことで、

本当はまだ開いているはずの問いを、
強制的に閉じてしまうことがあります。

「言い訳するな」という精神論ではない

こう書くと、

「言い訳してないで、やってみろ」
「やればできる」

という話のように、
聞こえるかもしれません。

私が言いたいのは、
そういう精神論や根性論ではありません。

私は、
「怖くても挑戦しなさい」

とも言いませんし、

「諦めずに努力すれば、きっとできる」とも言いません。

やってみた結果、

できないことだって、
当然あります。

そもそも人には、
向き不向きがあります。

何度やっても、
どうにもならないこともあります。

それをやるのか、
やらないのかも、

自分で決めればいいことです。

ここで言いたいのは、

もっと単純なことです。

まだ知らないのなら、

それって、「できない」ではなく、

ただ知らないだけなのではないですか。

それなのになぜ、

もう知ったことにしているのですか。

ということです。

まだやっていない。

どうなるのかも、
分からない。

できるのか、
できないのかも分からない。

それなら、

今分かっていることは、

「まだ分からない」

ということだけです。

現実に対して取っている立ち位置は?

言い訳をするな、
という話ではありません。

無理をしてでも、
やれという話でもありません。

でも、

どうして、
まだ分からないことを、
分かったことにしてしまうのですか。

という話です。

あなたも、

「できない」

という答えを出すことで、

本当はまだ開いている問いを、
閉じてしまっていませんか。

この記事で問いかけているのは、

挑戦する勇気でも、
努力する根性でもなく、

分からないものを、
分からないまま、
あるがまま、見られているか。

その
「現実に対して取っている、
立ち位置そのもの」

の話をしているのです。

「自分ならできる」という過信と驕り

ここまでは、
「できない」について話をしてきました。

でも反対に、

人はわからないはずのことや、
リスクのある危険なことを、

「自分ならできる」と過信したり、


「このぐらい大丈夫だろう」と驕って考えることもあります。

たとえば、

バイクで車の横を、
ぎりぎりすり抜けるとき。

「このくらいなら、通れるだろう」

と思う。

すでに余裕のない予定へ、
さらに予定を詰め込みながら、

「このくらいなら、全部できるだろう」
と思う。

自分では決められない、
相手の気持ちや行動について、

「こうすれば、相手も変わるだろう」

と考えてしまうこともあります。

けれど、

本当に安全に通れるのか。

自分の体力と時間で、
すべてを終えられるのか。

相手がどのように考え、
どのように行動するのか。

それらは、

自分の意思だけで、
結果まで決められることではありません。

それでも人は、
驕ったり、過信によって、

「自分ならできる」

と安易に考えてしまうことがあります。

「できる」と「できない」は、同じ根源から生まれる

失敗を恐れて言う「できない」と、

過信からくる「できる」。

この二つは、
正反対のことを言っているように見えます。

けれど実は、

どちらも同じ位置から、
生まれているもの

です。

それは、

まだ起きていないことの結果を、
自分はすでに知っているんだ。


という立ち位置です。

「できない」と言うときには、

まだ何もしていないくせに、

その結果を、
すでに知っているかのように。

「できる」と言うときには、

自分だけで決められるはずがない結果を、
すでに知っているかのように。

まだ知らないはずのことを、
まるで知っているかのように。

現実よりも、
自分の想像で、

勝手に決めてしまいます。

自分に決められることと、そうでないことの境界

因果。

その中で、
人間が決められるのは、

限られた領域です。

自分に決められるのは、

今、やってみるのか。
やめておくのか。

何を選び、
どこまで行動するのか。

そのときに、
何を大切にするのか。

ということだけです。

バイクで、

ぎりぎり隙間を通ろうとすることは、
自分で決められます。

けれど、

必ず安全に通り抜けられるという結果までは、
自分では決められません。

予定を引き受けることは、
自分で決められます。

けれど、

すべてを予定どおり終えられるかまでは、
誰にも分かりません。

相手に言葉を伝えることは、
自分で決められます。

けれど、

その言葉を受け取った相手が、
どう感じ、どう行動するのかまでは、
相手に委ねられています。

自分に決められることと、
自分には決められないことがある。

その、

一見当たり前のような「境界線」

が、

なぜか、
引けていないことがあります。

そして、
その境界を越えて、

本来自分には分からないことまで、
自分の想像で決めてしまうと、

本当はリスクの高いことや、
危険なことまで、
「自分ならできる」と過信して失敗したり、


反対に、

本当はできたかもしれないことまで、
「自分にはできない」と決めつけて、
何も確かめないまま終わらせてしまったりします。

どちらも、

現実を見て判断した結果ではありません。

まだ分からないことを、
自分の想像で決めただけです。

「分からない」を、そのまま認める

まだやったことがないのであれば、

できないのではなく、

できるかどうか、まだ分からない。

自分では結果を決められないのであれば、

できるのではなく、

何が起きるのか、まだ分からない。

そのように、
まず、

分からないものを、
分からないまま見る。

宙に浮かせておく。

それは、
とても大事なことではないでしょうか。

「分からない」からこそ、取らなくていいリスクを取らない

そして、

分からないものを、分からないまま見るとは、
じゃあ、無防備に何でも試してみればいい、ということではありません。

むしろ、

「できるかどうか、まだ分からない」
「自分は無知だ」

ということを、
あるがまま認められるからこそ、

取らなくていい危険なリスクを、
取らなくなるのだと思います。

たとえば、

何か大きなリスクを伴う選択をするとき。

成功するかどうかは、
分からない。

そして、

そんな分からない状態で取るには、
このリスクは大きすぎる。

そう判断するのであれば、

「今回はやらない」

という選択もできます。

反対に、

失敗したとしても、
十分に引き受けられる範囲なのであれば、

「ここまではやってみる」

と決めることもできます。

大切なのは、

「きっと大丈夫」

と結果を勝手に決めて、
危険なリスクを取ることでも、

「どうせできない」

と結果を勝手に決めて、
何もしないことでもありません。

大事なのは、

「このくらいなら大丈夫」
と思っていることは、

本当に現実によって、
確かめられたものなのでしょうか。

それとも、

まだ分からないことを、

自分の想像の中で、
勝手に「大丈夫」にしているだけなのでしょうか。

ということです。

だからまず、

「できるかどうか、自分はまだ知らない」という現実を、

「何も知らない無知だ」ということを、


そのまま認める。


そして、

現実に何が起きるかわからない不確実性も含めて、

それでは、
自分はどう行動するのか。

どこまでなら、
リスクを取れるのか。

どこから先は、
取らないのか。

結果を妄想で勝手に決めるのではなく、
自分が取る行動を決める。

答えは、現実の中で確かめる

そのうえで、

自分にできることをする。

そして、

何ができて、
何ができなかったのか。

想定していたことと、
実際に起きたことには、

どのような違いがあったのか。

頭の中で勝手に答えを決めるのではなく、
現実を見て、確かめる。

自分にできることをしたら、

できるか、できないかの判断は、
現実に委ねる。

現実が返してくる「結果」を見る。

そうやって、

分からないものを、
分からないままにして、

自分が引き受けられる範囲で、
現実の中で確かめていく。

それが、

物事を知った気にならず、

あるがまま見る

ということなのだと思います。

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