長靴は嫌だ!
今朝、息子が言いました。
「今日、何時に雨やむの?」
私は、
「今日は一日雨だよ」
と答えました。
すると息子が、

「じゃあ、雨が止んだらママのせいだからね!」
と言いました。
不満げに(笑)
長靴が嫌いなようです。
息子は、スニーカーで登校したかった。
もし朝から長靴を履いて行って、
午後に雨が止んだら、
みんなはスニーカーで元気に走り回れるのに、
自分だけ長靴です。
校庭で思い切り遊びにくくなるので、
そう言ったのだと思います。

「ママのせい」という物語
その時、私は思いました。
「ああ、人って甘えから、
『納得のいく解釈』
『自分が理解しやすい物語』
を乗せるんだな」
と。
ここでいう「物語」とは、
出来事そのものを捉えず、
「自分が納得できる理由や意味づけ」を乗せること
です。
今回の話では、
雨が止むかどうかと、
私には何の関係もありません。
それでも、
「ママのせい!」
という一つの物語を作ることで、
世界が少し分かりやすくなります。
人は「自分が解釈しやすい物語」を作る
実はこれは、
子どもだけではありません。
大人も同じです。
うまくいかない。
人生が苦しい。
あの人のせい。
親のせい。
社会のせい。
環境のせい。
逆に、
成功した。
あの人のおかげ。
運が良かった。
何でもいいのです。
人は、
出来事そのものよりも、
「誰のせいなのか」
「何のせいなのか」
という物語を作ることで、
心を安定させようとします。
その背景には、
無意識に、
「原因をどこかに求める働き」
があります。
例えば今回の話で、
もしも午後に雨が止んでも、
物語を作らなければ、
「長靴だけど、仕方ない。」
と、そのまま受け止めて、それで終わりです。
ですが、
「雨が止んだのに、僕が長靴なのは、ママのせいだからね!」
と思った方が、
少しだけ気持ちが楽になります。
もちろん、
息子は本気で私のせいだと思っているわけではありません。
天気がコントロールできないことは、
普通に分かっている年齢です。
それでも人は、
無意識のうちに、
納得できる理由や物語を作ることで、
心の負担を少し軽くしようとする。
そんな本能的な働きがあるのだと思います。
甘えは、大人にもある
ちなみに、
私はこれは夫を見ていても感じます。
夫はゲームでチーム戦をしているのですが、
負けると、
「味方が悪かった」「あいつのせいだ」
と言うことがあります。

実はこれも、「物語」です。
私が「物語」と呼んでいるのは、
一つの解釈を答えにして、思考が止まってしまうこと。
このケースで言えば、
「味方が悪かったから負けた」
という納得しやすい解釈を、
答えにしてしまうことです。
もちろん、
本当に味方が原因だった試合もあるでしょう。
ですが、
「自分には何ができたのか」
を考えるには、
心理的な負担が伴います。
一方で、
「味方が悪かった!」
という解釈に意識が向いた瞬間、
心は少し楽になります。
人は、
事実をそのまま受け止めるのは、
少し苦しい。
だから、
「誰かのせい」
「何かのせい」
という物語を作ることで、
心を安定させようとします。
私は、
こうした「物語を作る働き」は、
本質的には、
現実をそのまま引き受ける苦しさから逃れたいという甘え
から生まれるものなのではないかと思っています。
そして、
どんな分野でも、
本当にそこで成果を出す人というのは、
「誰が悪かったか」
ではなく、
「自分には何ができるのか」
に意識を向けられる人なのではないでしょうか。
物語を超えて、物事を見る
この話は、
「じゃあ、何でも自分のせいにすればいいんですか?」
という話ではありません。
大事なことは、
誰に責任があるのか。
その視点に立った瞬間、
私たちはまた、
一つの物語を作り始める。
ということです。
そのように物の見方を固定したとき、
思考が停止して、
人の成長は止まってしまう。
だからこそ、
出来事を見るときに、
まず、
分かりやすい解釈や物語を乗せないで、
何が起きているのか。
その事実を見ようとすること。
そして、
今この状況で、
調和の取れた選択とは何か。
そうした視点を持つことが
大切なのだと思っています。
見守るということ
息子には
「長靴がそんなに嫌なのね。でも、ママと天気は関係ないよ。」
夫には
「ゲームで不機嫌になると、周りも嫌な気持ちになるよ。
楽しめない趣味なら、止めたらいいのに。」
と、
引くべき境界線は引いて、
あとは様子を見守ります。
私は、
人が甘えているとき、
「甘えるな」
と裁けば良いわけではないと思っています。
ですが甘えから、
あまりにも境界線を越えているときには、
あえて突き放し、こら!と大きく叱ることもあります。
でも根本的に思うのは、こうです。
人は、
甘えることもあるし、
弱くなることもあるし、
他人のせいにしてしまうこともあります。
子供もそう。
大人もそう。
間違えながら、
成功もしながら、
少しずつ成長していく。
私は、
人とはそういう存在なのだと思っています。
だからこそ、
大人との対話でも、
子供の成長でも、
間違いを裁くのではなく、
そのプロセス見守ることが、
一番大切なことだと思っています。



