原理を理解しようとするな

④理解を手放す

原理は理解しなくていい

正直に言うと、

原理を理解することは、全然大事ではないと思っています。

記事を書いておきながら、何を言ってるんだという感じかもしれませんが。

私が原理の記事を書く理由は、ひとつです。

それがないと、話が飛躍するからです。

人は、自分の苦しみを外側のせいにします。

自分の心を見る前に、何か別の理由を探し始めます。

自分がいかに可哀そうだったか、被害者だったかを語り、理解と共感を求めようとします。

さらには仲間を作ったりして、いかに自分たちが正しいかを証明しようとします。

でも、そこに留まっていては、苦しみがいつまでも終わりません。

だから私は原理を置いています。

話が入っていくための土台として。

それ以外の理由はありません。

そんなものは理解しなくても良いのです。

だから私は、

「原理を伝えたい」

「原理を広めたい」

などと、1ミリも思っていません。

学ぶ必要なんてありません。

学ぶ必要なんて全くない。

だって、自分の心に気付くということだからです。

大切なのは。

なぜ外側ばかりを見るのか

神様仏様に手を合わせる人もいます。

私は、信じること自体は悪いことではないと思っています。

ですが、

なぜ人は外側の権威や、
正しそうに見えるものばかりを見て、

自分の心を見ようとしないのでしょうか。

そうじゃない。

学ぶんじゃない。

知るんじゃない。

理解するだけです。

「自分が何に、どう囚われているのか」

一致していないものを見ると頭が痛くなる

数日前から頭痛がしています。

また自分の泥水が落ちようとしている感覚があります。

心の中と表面が一致していない人がいます。

心の中では怒っているのに、
にこやかに話している人。

全然楽しくないのに、
ピースをして笑っている写真。

そういうものを見ると、
私は混乱してしまいます。

情報量が多すぎるのです。

言葉と感情。

表情と本音。

表面と内側。

それらが一致していないものを見ていると、
頭が痛くなります。

反対に、

一致しているものを見た時は苦しくありません。

情報がとてもシンプルだからです。

ですが、
一致している人はほとんど見かけません。

現実はすべてを映している

目の前の現実に全部あるのです。

今自分がなぜ苦しいのか。

何に囚われ、振り回されているのか。

その理由は、現実を見れば明確です。

そして、

なぜそれが見えないのか。

その理由もまた明確です。

自分は被害者の側、可哀そうな側になろうとするからです。

自分には関係ないと感じているからです。

では、

どうして何も変わらないのでしょうか。

どうして何も楽にならないのでしょうか。

それは、
気付いていないからです。

分かった気になっているからです。

人は、
自分の行いや心の中を見ることから目を背けます。

外側に向けて拝んでいるその手を解いて、

その意識を全部、
自分の内側に向ければ分かることなのに。

今この瞬間の自分の心に答えがある

素晴らしい話を聞いたり、

動画を見たりして、

「良い話を聞いた」

「感動して涙が出た」

そうやって外側に感化されているだけでは、

己の心を見ていません。

原理を理解する必要も、構造を覚える必要もありません。

見るべきは、今この瞬間の自分の心です。

自分は何に反応しているのか。

何を恐れているのか。

何を求めているのか。

何に囚われているのか。

それを理解するための、「鏡」が原理です。

鏡の世界には、答えはありません。

では、なぜ原理を伝えているのか▼

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