活動の経緯シリーズのご紹介
この記事は、
私のこれまでの歩みをまとめた、
シリーズの一つです。
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人生の答えを、確かめる必要がなくなった
「何者か」への執着が崩れたとき、
私は、
自分の人生は、
これまでの歩みは、
正しかったのか。
間違っていたのか。
そんなことは、
もうどうでもよくなっていました。
それまで歩いてきた人生が、
変わったわけではありません。
手放してきた多くのものも、
過ぎていった時間も、
何一つ、
変わっていません。
ただ、
それらによって、
自分が何者であるのか。
その答えを確かめたい気持ちが、
消えていました。
活動を手放したまま、何もしない時間を過ごした
活動は、
数か月間、
止めたままでした。
それまで、
積み上げてきたものも、
理解してきたことも、
一度、
どうすることもなく、
そのままにしました。
何かを始める理由も、
活動を続ける意味も、
あえて、
探しませんでした。
しばらく私は、
本当に、
何もしませんでした。
何も決めないまま、
ただ日常を過ごし、
自分の中に、
何が残るのかを見ていました。
何もしない時間の中で、振り返ったこと
私は、
今回の出来事で、
自分が見たものを、
あらためて、
振り返っていました。
一人の人から、
私を、
「退けるべき人間」とみなすような、
強い言葉が、
公の場で向けられました。
その発信者の周囲には、
その言葉に反応し、
同じ見方に立った匿名コメントを、
私へ送る人もいました。
中には、
何の根拠もないまま、
私を、
詐欺や犯罪に関わる人間であるかのように、
一方的に断定する内容も、
ありました。
さらに、
同じ見方が、
SNSを通して広がり、
私が退けられたことが、
正しい結果であるかのように、
語られているように見えました。
自分がしていることを見失う構造
今回の出来事の中で、
私が、
より根深い問題だと感じたのは、
自分が、
強い言葉を向けられたこと、
そのものではありませんでした。
むしろ、
そこには、
人間に共通する、
根源的な問題がある。
そう感じたのです。
今回、
私が考えたのは、
一人が示した見方に、
周囲の人たちが反応し、
「自分たちは、
正しい。」
という確信を、
強めていく構造についてでした。
そして、
一人の人間を傷つける行為までが、
自分たちの正しさを守るための、
「正義」に変わっていく。
ということについて、
深く考えるようになりました。
なにより、
私が重大だと感じたのは、
そういった構造が、
誰にでも、
起こり得るものだということでした。
歴史の中でも、繰り返されてきた構造
私は、
人の心や信念、
世界の捉え方に関わることを、
伝える活動をしています。
今回私が考えたのは、
一つの信念が、
絶対的な正しさとなり、
それを信じる人たちの間へ広がり、
それを脅かす存在を、
排除していく構造についてでした。
信念や、
世界の捉え方は、
人が、
「自分は何者であるのか。」
という感覚を支える、
アイデンティティの根幹に、
関わる問題でもあります。
だからこそ、
宗教や思想をめぐって、
歴史の中で、
繰り返されてきた迫害や争いが、
今回、
目の前で起きたことと、
構造的に、
切り離されたものには、
思えませんでした。
そこで起きることの規模も、
失われるものの大きさも、
同じではありません。
けれど、
規模は違っても、
そこには、
自分たちの正しさを守るために、
誰かを退けようとする、
同じ人間の心の構造が、
あるのではないか。
そう感じたのです。
善意や正義が、残酷さに変わる構造
その心の動きとは、
規模の大小にかかわらず、
自分たちのアイデンティティを守るために、
誰かを退け争う構造です。
自分たちの信念こそが、
本物である。
これこそが、
正しい方向へ進む道である。
その確信が、
強くなるほど、
そこから外れるものは、
間違っている。
劣っている。
あるいは、
自分たちの正しさを、
脅かすものは、
偽物であり、
退けるべきものとなる。
そうして、
相手を、
一人の人間としてではなく、
「退けるべき対象」として、
扱うようになる。
一人が示した見方が、
別の人に盲信され、
その見方が、
人々の間へ広がっていく。
そして、
誰かを傷つけることさえ、
自分たちの正しさを守るための、
必要な「正義」へと変わっていく。
その結果、
相手を退けたことが、
一つの勝利のように、
受け取られることもある。
日常の中で起きる、
小さな争いと、
歴史の中で起きてきた、
大きな争い。
そこで起きることの規模も、
失われるものの大きさも、
同じではありません。
けれど、
自分たちの正しさを守るために、
誰かを、
「退けるべき側」へ置く。
その本質は、
変わらないのではないか。
私は、
そこには、
共通する構造があるように
思えてなりませんでした。
弱さは、人を傷つけてもいい理由にはならない
こうした争いの構造が起きる根には、
「そうしなければ、
自分自身を支えられない。」
「人生に、
不安を感じている。」
「誰かに、
救いを求めている。」
という、
人間が持つ、
「根源的な弱さ」があるのだと思います。
この気づきは、前回の記事で詳しく説明しています▼
けれど、
その弱さが、
誰かを傷つけてよい理由にはなりません。
自分が正しいと信じ、
誰かを、
一人の人間として扱わず、
傷つけている事実にさえ、
目を向けない。
そうして、
人が、
人を裁くことの、
なんと愚かなことかと思います。
自分がしたことを、
振り返ることもなく、
本当に向き合うべきことから、
目をそらし続ける。
一人ひとりが、
自分の正しさを、
疑わないまま、
誰かを退けていく。
そうして、
同じ過ちが、
繰り返されていく。
だから、
弱さは、
自分の行いを、
振り返らなくてよい理由にも、
本当に向き合うべきことから、
目をそらしてよい理由にもなりません。
自分の中で起きていることを見る
だからこそ、
誰かを、
退けたいと感じたり、
否定したくなったときほど、
その正しさで相手を裁こうとする前に、
まず、
自分の中で、
何が起きているのかを見る必要がある。
私は、
そう思います。
この心は、
どこから生まれているのだろう。
自分は今、
何を、
守ろうとしているのだろう。
何を失うことを、
恐れているのだろう。
なぜ、
相手を、
「間違っている側」へ、
置こうとしているのだろう。
もちろん、
不当なことを、
受け入れるという意味ではありません。
現実に起きていることには、
必要な対応をする。
それと同時に、
自分の中に生まれた反応の、
「根源」を見ていく。
恐れや、
執着を、
自分自身で、
見ていく。
誰かを裁く前に、
まず、
自分の中で起きていることに、
気づく。
私自身も含め、
一人ひとりが、
そこから始める必要がある。
私は、
そう思ったのです。
自分の言葉が、どこへ向かうのか
同時に、
私は、
自分自身の活動についても、
考えるようになっていました。
私は、
目には見えない、
「人の心」について、
伝える活動をしています。
それは、
人の信念や、
世界の捉え方に、
深く関わる内容でもあります。
これまでも、
何を、
どのように伝えるのか。
そして、
その言葉が、
人の心に何を残すのかは、
考えてきたつもりでした。
けれど、
今回の出来事を通して、
情報を発信する人の、
心の在り方が、
その言葉を受け取った人の、
見方や行動にも、
大きな影響を与えることを知りました。
情報を発信する人が、
自分の中にある、
正しさや分断に気づかないまま、
何かを伝えれば、
その見方を受け取った人も、
同じ正しさや分断のもとで、
誰かを傷つけることがある。
だからこそ、
自分の言葉が、
人の心に何を残し、
その先で、
どのように広がっていくのか。
そこまでを、
これまで以上に、
深く考える必要がある。
そう思ったのです。
負の連鎖は、終わらせられる
また、
私が、
今回の出来事について、
書こうと思ったのは、
誰かを責めたりするためではありません。
人は誰しも、
過ちを繰り返しながら、
何が本当に大切なのかを、
理解していく存在なのだと思います。
でも、
繰り返されてきた負の連鎖は、
一人ひとりが、
自分の中で起きていることに気づくことで、
終らせることができます。
人は、
誰かを裁かなくても、
幸せになることができる。
共に生きることで、
より良い世界が作られていく。
それを、
伝えていきたいと思ったからです。
私は、
私自身の、
これまでの歩み、
そして、
多くの対話を重ねる中で、
そう理解してきたのです。
もう一度、活動することを決めた
何もしない時間を過ごしたあと、
私の中に残ったのは、
今回の出来事を通して、
自分が見たことや、
そこから、
理解したことを、
伝えていきたいという思いでした。
人には、
弱さがあります。
でも、その弱さから、
誰かを傷つけても、
何も生まれません。
それでもなお、
その弱さに気づかないまま、
誰かを裁けば、
同じ過ちは、
繰り返されていきます。
そうして残るのは、
虚しさだけです。
その構造が、
大きくなった先に、
歴史の中で繰り返されてきた、
戦争もあります。
ゼロの視点へ
だからこそ、
誰かや、
何かにすがるのをやめて、
自分の心の中で、
今、まさに、
何が起きているのかを見る。
人生で起きている苦しみや怒りを、
誰かのせいにするのではなく、
自分のこととして引き受ける。
そうやって、
自ら手放すことでしか、
終わらない苦しみがある。
私は、
今回の出来事を通して、
それを伝えていきたいと思いました。
誹謗中傷という体験があった以上、
再び人前に出て、
活動することには、
迷いがなかったわけではありません。
それでも、
その迷いがなくなるまで、
待つのではなく、
抱えたまま、
もう一度進むことにしました。
自分の正しさの中で、
誰かを傷つけていることに、
気づかない。
そんな人が、
一人でも減っていくこと。
そして、
一人ひとりが、
自分の心の中で、
何が起きているのかを、
あるがまま見つめること。
それは、
私たちが、
今、ここで、
できることでもあります。
そんな小さなことの、
積み重ねによって、
人が繰り返してきた争いも、
いつか、
終わっていくのかもしれない。
だからこそ、
自分が見てきたことや、
理解してきたことを、
私の中だけに、
留めておくのではなく、
必要としている誰かへ、
伝えていこうと思いました。
ここから、
私の活動が、
もう一度始まりました。
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