中庸と中立の違い

⑥どう在るか

中庸とは、中立のことではない

この記事は「中庸シリーズ」の第1回です。

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セッションでもよくお話する「中庸」という言葉について、
私が見ている視点を解説します。

中庸とは、
中立のことではありません。

中立とは、
どちらかに偏らない、真ん中の視点のことです。

単にどこにもギアが入っていない状態。

ニュートラルとかフラットという言葉でも表されます。

でも私の言っている中庸とは、
この「どちらかに偏らない真ん中の視点」のことではありません。

「中立」は、中庸へ向かう通過点

ただ、

「どちらが被害者か加害者か」

「どちらが正しいか間違っているか」

という極端な考え(二元論)がある人が、
そこから抜けるためには、

一旦「中立なものの見方」は必要

です。

「ああ、良いも悪いもないんだね。

どちらにもそれ相応の言い分があり、
それぞれの立場がある。

だから被害者と加害者という、
単純な見方だけじゃ語れないよね。」

という理解です。

この視点に立つことで、
出来事をフラットに捉えることができます。

これが中立。ニュートラル。

でもこれが中庸でありません。

あくまでも、中庸に向かうための通過点としての“中立”です。

二元論について▼

「中立」と「中庸」は違う

セッションをしていて感じるのは、
この「中立」と「中庸」が、
とてもよく混同されているということです。

ですが、この二つは全く違う概念です。

私のセッションでは、中庸という概念を、

「自分だけ」に偏らず、
相手や全体との関係性の中で、
調和の取れた選択ができるバランスの良い状態

として取り扱っています。

バランスの良い行動が取れる状態▼

中立は偏りのない真ん中の視点です。

でも必ずしも、
その視点があるだけで調和的な選択ができるとは限りません。

ただニュートラルに見ているという段階。

これが中庸と中立との違いです。

次回は、

「自分軸」が“中立”で止まってしまう理由

というお話です。

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