中庸とは、中立のことではない
この記事は「中庸シリーズ」の第1回です。
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セッションでもよくお話する「中庸」という言葉について、
私が見ている視点を解説します。
中庸とは、
中立のことではありません。
中立とは、
どちらかに偏らない、真ん中の視点のことです。
単にどこにもギアが入っていない状態。
ニュートラルとかフラットという言葉でも表されます。
でも私の言っている中庸とは、
この「どちらかに偏らない真ん中の視点」のことではありません。
「中立」は、中庸へ向かう通過点
ただ、
「どちらが被害者か加害者か」
「どちらが正しいか間違っているか」
という極端な考え(二元論)がある人が、
そこから抜けるためには、
一旦「中立なものの見方」は必要
です。
「ああ、良いも悪いもないんだね。
どちらにもそれ相応の言い分があり、
それぞれの立場がある。
だから被害者と加害者という、
単純な見方だけじゃ語れないよね。」
という理解です。
この視点に立つことで、
出来事をフラットに捉えることができます。
これが中立。ニュートラル。
でもこれが中庸でありません。
あくまでも、中庸に向かうための通過点としての“中立”です。
二元論について▼
「中立」と「中庸」は違う
セッションをしていて感じるのは、
この「中立」と「中庸」が、
とてもよく混同されているということです。
ですが、この二つは全く違う概念です。
私のセッションでは、中庸という概念を、
「自分だけ」に偏らず、
相手や全体との関係性の中で、
調和の取れた選択ができるバランスの良い状態
として取り扱っています。
バランスの良い行動が取れる状態▼
中立は偏りのない真ん中の視点です。
でも必ずしも、
その視点があるだけで調和的な選択ができるとは限りません。
ただニュートラルに見ているという段階。
これが中庸と中立との違いです。
次回は、
「自分軸」が“中立”で止まってしまう理由
というお話です。







