人は「調和」を学ぶ方向へ向かっている
①、②はこちら↓
私自身の人生、そしてさまざまな人の人生を見ていると、人は皆、それぞれの葛藤や人間関係、苦しみを通して、最終的には「調和」というものを学ぶ方向へ向かっているように見えます。
「正しさ」と「秩序」は違う
例えば以前の記事でも書きましたが、
「正しさ」と「秩序」は全く違います。
自分の中の正義。
譲れない信念。
「こうあるべき」。
それらを握りしめているだけでは、現実の秩序は見えてきません。
現実をあるがまま見て、
人と人との関係性を見て、
その中で「どうしたら調和へ向かうのか」を見続ける。
その先にあるものが、中庸なのだと思います。
中立だけでは、現実は変わらない
だからこそ、結局、人は「中庸」を学ぶ構造の中にいるのではないか、と感じます。
中立になるだけでは、争いは終わりません。
「自分は悪くない」
「相手も悪くない」
「どちらにも、それぞれの事情があるよね」
そんな中立の見方だけでは、現実は変わらないからです。
中庸とは、「調和」を選び続けること
その先で、
自分というものを見失わず、
相手や全体との調和を見て、
現実の中でどう在るのか。
そこまで行動できて初めて、中庸なのだと思います。
そして私自身、多くの人と関わる中で、結局誰もがそこへ向かう学びの中にいるように感じています。
「中立」の先にあるもの
だからこそ、「中立」で止まるのではなく、その先にある「中庸」という感覚まで、少しずつ見ていく必要があるのだと思います。
それは、ただ優しい人になることでもありません。
ただ我慢することでもありません。
現実の中で、自分も他者も含めた全体を見ながら、それでも主体性を失わずに関わっていくこと。
結局、人はそういうことを学ぶ方向へ向かっているように、私は感じています。







コメント