「流れに乗る」だけでは中庸には辿りつけない

⑥どう在るか

はじめに

この記事は「中庸シリーズ」の第3回です。

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中庸とは、「調和」を選び続けること

中庸とは、

何もせず待っているだけ、
あるいは、
流れに乗るだけで、

自然とそうなるものではありません。

人生に答えはありません。

それでも、
今できる調和の選択とは何か?

そのバランスを選び続けることができること。

そういった「心の在り方」の上に、
中庸というエネルギーが立ち上がるものです。

自らの意志が必要

例えば、
人生には、不足感がつきものです。

その不足感に振り回され、
人生の主導権を「誰か」へ明け渡すことは、簡単です。

でもそのままでは、
調和の選択は見えてきません。

また、たとえ原理を知ったとしても、

その原理に沿った調和とは何かを見極め、選択することと、

不安から逃れるために、
原理の中で正解を探すことは、
全く違います。

つまり調和は、

自ら求めなくてはたどり着かないもの

という事です。

中庸を理解するには、相応の負荷(コスト)がかかる

どうしたら調和へ向かうのかを、
自分の責任で、
見続けなくてはならない。

だからこそ、
そこには相応の負荷(コスト)がかかります。

この世はなんの痛みもなしに、
本当に何かを理解することはできません。

でも、痛みを通じて理解したとき、
そこには「執着のない、自由」があります。

私はそういった、
私が理解してきたことをベースに
対話と記事を通じて、伝えてきています。

人生には、
痛みがある。

それでも、
自分というものを見失わず、

相手や全体との調和を見て、
現実の中でどう在るのか。

失敗しながら、
それでも考え、実践し続けていくこと。


それが、大切なことなのだと思います。

この記事は「中庸シリーズ」の第3回です。
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