因果の法則⑥|テーマが回収された先にあるもの

因果の法則

なぜこのシリーズを書いてきたのか

これまで本シリーズでは、

人生を通して向き合うテーマについて

お話してきました。

私がこのシリーズを通して本当にお伝えしたかったことは、

自分が苦しんでいる理由を、

感情だけではなく、

構造として見てみることの大切さです。

人は苦しい時、

どうしても目の前の出来事や感情に意識を向けます。

なぜあの人はあんなことをしたのだろう。

どうして自分ばかりが苦しいのだろう。

そう考えることは、人としてとても自然なことです。

ですが、

同じような苦しみやテーマが繰り返される時、

その奥には、まだ理解されていない何かが存在していることがあります。

私はそれを、

これまでの対話や観察の中で何度も見てきました。

だからこのシリーズでは、

人生に起きる出来事を、

善悪や被害者・加害者という見方だけではなく、

一つの構造として見ていく視点

についてお話してきました。

理解を現実の中で生きる

ここまでお話してきたように、

テーマが理解されると、

握りしめていた手は少しずつ力を失って

執着が解けていきます。

ですが、

テーマを理解しただけで人生が変わるわけではありません。

その理解をもとに、

現実の中で少しずつ実際の選択を変えていく。

そうした積み重ねによって、

人生は実際に、少しずつ変化していきます。

では、

そのようなプロセスを経て、

テーマが回収された時、

人はどのような状態へ向かうのでしょうか。

テーマが回収された先にあるもの

⑤でお伝えしてきたように、

人生のテーマによって現れていた現象、

すなわち「負のカルマの現実」が

消えるとは限りません。

残る現実もあります。

ですが、

現象が残っていたとしても、

テーマへの理解が深まり、

執着が解けているなら、

その人なりの循環が始まります。

例えば、

認められたい、必要とされたいという思いであれば、

誰かに価値を証明し続けなくても、

自分自身の価値が変わるわけではないと

少しずつ実感として理解されていきます。

すると、

他人との比較や競争に振り回されにくくなり、

自他への深い尊重が生まれます。

だから自然と

人から必要とされるようになります。

お金であれば、

「もっともっと」という不足感から離れ、

見栄を張ったり、無計画に使ったりしなくなります。

お金との関係に自然なバランスが戻り、

必要なものと不要なものが見えてきます。

その結果、

その人の人生に必要な分が巡り、

不要な分は出ていく、

無理のない循環が成立していきます。

能力や才能であれば、

不足感から無理に自分を大きく見せたり、

誰かと競い続けたりしなくなります。

その結果、

持っている力が必要な場面で自然と発揮され、

人の役に立った分だけ、

釣り合いの取れた状態で循環していきます。

そうした理解と実践の積み重ねの先に、

少しずつ不足感に振り回される状態が終わり

それぞれの循環構造

へと入っていきます。

自然と他人に目が向く

テーマが回収されると、

執着が解けているので、

自分のことで心理的な葛藤に振り回されることが

少なくなります。

すると、

自分のことで精一杯だった状態から、

自然と人へ目が向くようになります。

自分だけが快適であればいい、

という閉じた状態にもなりません。

なぜなら、

人の心の痛みが分かるようになるからです。

苦しんでいる人に、

自然と目が向くようになります。

ですが、

その苦しみに飲み込まれることもありません。

自分と相手の人間関係の境界が

引けるようになっているからです。

だからこそ、

感情だけで反応するのではなく、

全体の流れの中で

バランスを見ることができます。

そして、

もう同じ過ちを繰り返さないためには、

どうしたらよいのだろう。

どうすればより調和した形になるのだろう。

そう考えられるようになります。

持っている能力や才能も、

自分の不足を埋めるためではなく、

自然な形で使われるようになり、

他者と循環し始めます。

それは、

誰かを踏み台にして成立するものではありません。

自分を犠牲にして成立するものでもありません。

結果として、

本人も幸せになり、

周囲にも自然と良い循環が生まれていきます。

人生は理解のためにある

私は長年、

多くの方との対話を続ける中で、

人生には理解へ向かう流れがあるように感じています。

なぜなら、

人が本当に変化していく時、

そこには必ず何らかの理解が起きているからです。

理解できなかったこと。

受け入れられなかったこと。

繰り返しぶつかっていたこと。

そうしたものを、

人は人生を通して少しずつ理解していきます。

苦しみの中にも、

理解へ向かう入り口があります。

だから私は、

人生に起きる出来事は、

誰かを責めるためにあるのではなく、

何かを理解するための機会でもある

と捉えています。

もし世界が罰の仕組みなら、

人は苦しむだけで終わります。

ですが私は、

多くの対話を通して、

理解できなかったことを理解する機会が、

何度も与えられているように感じています。

そして、

その理解をもって現実を生きることで、

人生は少しずつ変化していきます。

私は、

そのような理解と実践のプロセスを、

対話を通して後押ししています。

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