負のカルマが解消された先にあるもの|大いなる流れと自由

③因果の法則

はじめに

この記事は「因果の法則シリーズ」の第6回です。

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なぜこのシリーズを書いてきたのか

これまで本シリーズでは、

人生の中で、
同じような苦しみが繰り返される構造について
お話してきました。

私がこのシリーズを通して
お伝えしたかったことは、

自分が苦しんでいる理由を、
目の前の出来事や感情だけではなく、
その奥にある「構造」から見てみることです。

人は苦しいとき、

「なぜ、あの人はこんなことをしたのだろう」

「どうして、自分ばかりが苦しいのだろう」

と、
目の前で起きていることに意識が向きます。

それは、
とても自然なことです。

けれど、

同じような苦しみが
何度も繰り返されているとき、

その奥には、

まだ自分には見えていない構造が、
残っていることがあります。

だからこのシリーズでは、

人生に起きる出来事を、

善悪や、
被害者・加害者という見方だけではなく、

一つの因果の構造として見る

ということを、
お話してきました。

そして、

その構造が理解され、
執着が解け、

負のカルマが解消されていった先に、
何が起きるのか。

今回は、
シリーズの最後に、

その先について
お話していきます。

負のカルマが解消されると、循環が変わる

ここまでお話してきたように、

負のカルマが解消されるとは、

単に、
目の前にある嫌な出来事が
すべてなくなることではありません。

現実として、
残るものもあります。

けれど、

その出来事を生み出していた構造が理解され、

そこにあった執着が解けていけば、

それまで繰り返していた因果の循環が、
少しずつ変わっていきます。

それまで、

執着によって何かを選び、

その結果として、
また同じような現実を生み出していた。

けれど、

執着が解ければ、

それまでと同じものを
選ぶ必要がなくなっていきます。

選ぶものが変われば、

そこから生じるものも、
変わっていく。

そうして、

それまで自分を苦しめていた
負の循環が終わり、

その人なりの、
新しい循環が始まっていきます。

現実の循環も、少しずつ変わっていく

そしてこれは、

単に、
「心が楽になる」というだけの話ではありません。

内側の構造が変われば、

実際に、

自分が選ぶものや、
人との関わり方、

お金の扱い方や、
持っている力の使い方も変わります。

その結果として、

現実の中で起きる循環そのものも、
少しずつ変わっていきます。

たとえば、

「認められたい」
「必要とされたい」

という思いが強かった人なら、

誰かに自分の価値を
証明し続ける必要がなくなっていきます。

すると、

人との比較や競争に
振り回されにくくなり、

無理に人から必要とされようとしなくても、

結果として、
自然と必要とされることが増えていくことがあります。

お金についても同じです。

「もっと欲しい」

「これがなければ幸せになれない」

という不足から離れていけば、

見栄や不安から
お金を使うことも少なくなります。

必要なものと、
必要ではないものが見えるようになり、

お金にも、
その人なりの自然な循環が生まれていきます。

そして、

能力や才能についても、

自分を大きく見せるためでも、

誰かに勝つためでもなく、

持っている力が、
必要なところで自然と出るようになっていきます。

その力が人の役に立てば、

その結果として、

お金が入ってきたり、

仕事につながったり、

また別の機会が
巡ってきたりすることもあるでしょう。

私自身も、

大いなる流れに乗る中で、

自分の持っているものが、
以前よりもずっと自然に使われ、

そこから仕事やお金が
循環していくということを、

実際に経験してきました。

私は、

こうして、

自分の内側だけではなく、

現実の循環そのものが変わっていくことも含めて、

「大いなる流れに乗る」

と捉えています。

それが「大いなる流れに乗る」ということ

負のカルマが解消されることで、

それまで繰り返していた因果が変わり、

現実にも、
新しい循環が生まれていく。

私は、

自分の執着によって
流れをせき止めることが少なくなり、

その人が持っているものが
自然と使われ、

また何かが返ってくる。

そうして、

その人なりの循環の中を、
物事が動き始めることを、

「大いなる流れに乗る」

という言葉でも表しています。

大いなる流れについては、
こちらのシリーズで詳しくお話しています▼

ただし、流れに乗れば「うまくいく」わけではない

ここで、

とても大切なことがあります。

大いなる流れに乗ることで、

才能が自然と使われたり、

仕事やお金が
循環し始めたりすることはあります。

けれど、

大いなる流れに乗れば、
そこから先の人生が、楽してすべてうまくいく

という意味ではありません。

大いなる流れが、

「次はこちらへ進みなさい」

と、

人生の正解を
教えてくれるわけでもありません。

この先、
何が起きるのか。

今の選択が、
どんな結果につながるのか。

それは、

やっぱり、
誰にも分かりません。

大いなる流れに乗ることと、
未来が保証されることは、
まったく別の話です。

大いなる流れの中でも、自由には責任が伴う

そして、

大いなる流れの中にあっても、

何を選ぶのかは、
自分に委ねられています。

自分で考え、

自分で選び、

自分で行動する。

そして、

そこから生じたものを
自分で引き受けながら生きていく。

だから、

「流れがそうさせたのだから、
私には責任がない」

ということではありません。

誰かに人生を決めてもらうのではなく、

自分で選ぶことができる。

だからこそ、
そこには自由があります。

そして、

自分で選ぶことができるからこそ、

その自由には、
責任も伴います。

大いなる流れに乗るということは、

自分の人生の責任を、

「流れ」という何かに
預けることではありません。

自由と責任については、
こちらの記事で詳しくお話しています▼

負のカルマが解消された、その先へ

負のカルマが解消されることで、

それまで自分を苦しめていた
因果の循環は変わり、

その人なりの
新しい循環が始まっていきます。

持っている才能が
自然と使われるようになったり、

人との関係が変わったり、

仕事やお金が
それまでとは違う形で
循環し始めることもあります。

けれど、

その先に待っているのは、

「何もしなくても、
すべてがうまくいく人生」

ではありません。

未来が、
すべて分かるようになるわけでもない。

その中でも、

何を選ぶのかは、
自分に委ねられています。

自分で選び、
そこから生じたものを引き受けながら、
自分の人生を生きていく。

負のカルマが解消された先にあるものは、

人生の責任から
解放されることではなく、

それまで自分を縛っていたものから離れ、
自分の人生を、より自由に、責任を引き受けながら生きていけること。

そして、

その自由の中で、

自分の持っているものが
自然と使われ、

人やお金、
仕事やさまざまなものとの間に、

その人なりの循環が生まれていく。

私は、

それが、

負のカルマが解消された先に始まる、

「大いなる流れ」なのだと捉えています。

この記事は「因果の法則シリーズ」の第6回です。
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