なぜ生まれながらの問題があるのか
前回は、執着が解ける流れについてお話しました。
③はこちら▼

ただ、その記事を読んで、
こう思った方もいるかもしれません。
私はそういう話ではありません
生まれながらに病気があります
発達障害があります
家庭環境に問題がありました
今回は、
そうした
生まれながらのテーマ
についてお話します。
生まれながらの問題の意味
例えば、
病気。
障害。
家庭環境。
発達特性。
人生には、そういった生まれながらの問題があります。
その時、
私が作った問題ではないのに、なぜこんなに苦しむのだろう
と感じることがあります。
確かにそれらは自分の責任ではありませんから、
そう感じるのはとても自然なことだと思います。
ですが、
人生のテーマ
という視点では、
少し見え方が変わってきます。
私が見ている「宿命的な配置」
私は長年、
人の無意識や人生の流れを見てきました。
その中で、
ある一つの法則性を見ています。
それは、
人生には「宿命的な配置」がある
ということです。
例えば、
どの家庭に生まれるのか。
どんな体を持って生まれるのか。
どんな人と結婚するのか。
どんな課題を抱えるのか。
などです。
もちろん、
それを偶然だと考えることもできます。
ですが、
多くの方との対話を通して感じるのは、
人が本当に前へ進み始めるのは、
なぜこんな人生なのかと
抵抗し続けている時ではなく、
テーマを深く理解し始めた時
だということです。
そして不思議なことに、
苦しみはテーマを理解するために必要だった
そのように、
今までバラバラだった点と点が繋がる。
そのような体験をした人ほど、
執着がほどけ、
止まっていたものが少しずつ動き始める。
そのような変化を、私はこれまで何度も見てきました。
テーマは現実として現れる
では、
そのテーマはどのように現れるのでしょうか。
私は、
まだ理解されていないテーマは、
現実の出来事として現れる
と見ています。
例えば、
人間関係の繰り返し。
お金の問題。
家庭の問題。
病気や特性にまつわる苦しみ。
その人が繰り返し向き合う現実です。
そして私は、
こうした
「テーマが現実として表れている状態」
を、
負のカルマの現実
と呼んでいます。
負のカルマとは
「負のカルマの現実」と聞くと、
多くの人は
罰や報いのようなものを想像します。
ですが、
私が見ているカルマは違います。
「人生の構造」を理解するために使っている補助線です。
詳しくはこちらの記事でお話しています。
▼見えない視点を慎重に扱う理由

つまりその人にとって、
まだ理解されていないテーマが現実となって表れている
という視点で見ています。
だから、
私のセッションでは、
負のカルマの現実への理解を深めることを大切にしています。
そこに、
執着を解くためのヒント
が詰まっているからです。
ひとりひとりテーマは千差万別
ただし、
生まれながらの問題や
人生に起きる出来事のすべてが、
人生のテーマから生じた「負のカルマの現実」という理解ではありません。
重要なのは、
現実の現象だけでなく、
その中でどのような感情を感じ、
どのような苦しみや葛藤があるか
です。
そこに、
その人が人生を通して何を理解しようとしているのか
という大きなテーマ
があります。
ですから、
ひとりひとり対話の内容は、千差万別であり、
私は一人ひとりの人生に合わせた対話を行っています。
負のカルマが現実に現れる具体例
では、「負のカルマの現実」とは、
具体的にどのように人生に現れるのでしょうか。
まず私は、人生そのものが、
最終的に「調和」を理解する流れだと捉えています。
詳しくはこちらの記事でお話しています。
調和へ回収される構造▼

ですが人は、
最初から調和を理解しているわけではありません。
理解できていないこと。
偏っていること。
執着していること。
が、誰しもにあります。
例えば、
「見返りを求めない愛情」
をまだ深く理解していない人がいたとします。
その時人生には、
その理解を促すような形で
「負のカルマの現実」
が現れます。
例えばそれは、
見返りのない愛情を受け取れない経験
や
他人に理解されない経験
のように、
人生で理解するべきテーマに関するものが、
最初からは「与えられない」
という形で現れることも少なくありません。
そして、
その現実はしばしば痛みを伴います。
なぜなら、
もし仮に、
理解するべき愛情が人生に当たり前に存在していたなら、
人はその価値を深く理解するというより、
空気のように当然のものとして扱ってしまうことがあるからです。
ですが、
欠乏や痛みを経験すると、
人は初めて、
それがどれほど大切なものだったのかを、
骨身に染みて理解することがあります。
そうして、
愛情とは何か。
人を大切にするとは何か。
見返りを求めないとは何か。
そうしたことを、
頭ではなく体感として理解していくのです。
ここには、
痛みを通過しなければ本当には理解できない
という人生の構造があります。
痛みを通過する理由▼

執着が解けても、現実には残るものがある
だから人生は、
無関係なテーマが突然現れるわけではありません。
まだ本当には理解できていないテーマに沿って、
宿命的に配置が作られていく。
私はそのような前提で対話を行っています。
そして、今回の記事を読んで、
こう思った方もいるかもしれません。
執着が解ければ、
このような現実の問題もすべて消えるのでしょうか。
と。
また世の中には、
「自分が変われば、すべてが上手くいく」
といった考え方もあります。
ですが、私が実際に見てきた現実は、そうではありません。
執着が解けた結果、
現実から問題そのものが消えていくこともあります。
一方で、
執着が解けても、
現実には残り続けるものもあります。
次回は
「執着が解けても、現実には残るものがある」
というお話です。
因果の法則シリーズ▼




