人はなぜ「痛み」を通して理解するのか|人生の仕組み

①分離と統合の法則

はじめに

この記事は「人生の構造シリーズ」の第4回です。

シリーズ一覧はこちら▼

なぜ、理解するために「痛み」が必要なのか

前回は、

まだ理解されていない人生のテーマは、

形を変えながら、
現実に繰り返し現れる。

というお話をしました。

では、

なぜその現実は、

ときに、
大きな痛みを伴って現れるのでしょうか。

大切なものを失う。

人間関係が壊れる。

否定される。

裏切られる。

それまで積み上げてきたものが、
崩れる。

人生では、

それまでの考え方では
どうにもならないような現実に、

直面することがあります。

今回は、

なぜ人は、
ときに「痛み」を通して理解するのか。

そこにある、
人生の仕組みについてお話します。

頭で知ることと、本当に理解することは違う

人は、

知識として知っているだけでは、
本当には理解できないことがあります。

たとえば、

「自分を犠牲にし続ける必要はない」

「相手の問題まで、
自分が背負う必要はない」

そう聞けば、

頭では理解できるかもしれません。

けれど、

実際の人生では、

嫌われたくない。

見捨てられたくない。

相手を困らせたくない。

そんな思いから、

分かっていても、
同じことを続けてしまうことがあります。

そして、

我慢を重ね、

無理を続け、

とうとう、
それ以上続けられないところまで来る。

そこで初めて、

「もう、この生き方は続けられない」

ということを、

頭ではなく、
体感として理解することがあります。

知っていることと、

実際の人生を通して
深く理解することは、

同じではありません。

現実を通過することでしか、理解できないことがある

たとえば、

熱い鍋に触れたことのない人に、

「熱いから、
触らない方がいい」

と伝えることはできます。

その人も、

言葉の意味は
理解できるでしょう。

けれど、

実際に熱さを感じたときのことまで、

知識だけで
理解することはできません。

人生にも、

それと同じように、

実際の現実を通過することでしか、
深く理解できないことがあります。

愛情とは何なのか。

人を尊重するとは、
どういうことなのか。

自分の人生を生きるとは、
どういうことなのか。

自分が引き受けるものと、

相手が引き受けるものを
分けるとはどういうことなのか。

それらは、

言葉として知ることはできても、

実際の人生の中で
その意味を理解するまでには、

現実を通した経験が
必要になることがあります。

痛みのある現実に、理解するべきテーマが現れる

そして、

人生でまだ深く理解されていないテーマは、

ときに、

痛みのある現実として現れます。

たとえば、

「嫌われたくない」

という思いから、

人に合わせ続けている人がいたとします。

最初は、

「優しい人」

「気が利く人」

として、

周囲から評価されるかもしれません。

けれど、

それを続けていれば、

少しずつ我慢が増え、

自分の気持ちが
分からなくなり、

やがて、

人間関係そのものが
苦しくなることがあります。

そこで初めて、

自分はなぜ、

ここまで人に
合わせ続けてきたのだろう。

なぜ、

嫌われることが、
これほど怖かったのだろう。

と、

それまで見えていなかったものが
見え始めます。

つまり、

痛みのある現実によって、

それまで見えていなかった、
自分の中の執着や分離が、

見えるようになるのです。

痛みは「罰」ではない

だから、

ここでいう痛みは、

何か悪いことをしたから
与えられる、

「罰」という意味ではありません。

人生の中で、

まだ理解されていないものがある。

その理解に関わる現実が現れ、

そこに痛みが生まれる。

そして、

その痛みを通して、

それまで理解できなかったことが
深く理解されていく。

その痛みや苦しみがあるからこそ、

それまで理解できなかった、
本当に大切なことが、

深く理解されていくことがあります。

これは、

因果の法則とも
深くつながっています。

因果の法則については、
こちらのシリーズで詳しくお話しています▼

理解によって、現実での選択が変わる

そして、

本当に理解が起きたとき、

変わるのは、
頭の中だけではありません。

それまで、

嫌われることを恐れて
断れなかった人が、

必要なことを
断れるようになる。

相手の問題まで
背負っていた人が、

相手が引き受けるものを、
相手へ返せるようになる。

誰かに認められることで
自分の価値を確かめていた人が、

そのために、
無理をしなくなる。

内面で起きた理解が、
実際の選択や行動に現れていく。

そして、

少しずつ、
現実との一致へ向かっていく。

第1回でお話した、

「分離から統合へ」

という原理も、

頭の中だけで
完結するものではありません。

理解したことが、

実際の生き方として
現実に接地していく。

そこまでを含めて、

統合へ向かっていきます。

痛みから逃れようとすると、同じテーマが残ることがある

けれど、
人は当然、

痛みを感じたくありません。

だから、

見ないようにする。

なかったことにする。

誰かを変えようとする。

もっと成功すればいい。

もっとお金があればいい。

もっと認められればいい。

そうやって、

目の前の苦しさから
離れようとすることがあります。

もちろん、

現実的な問題に
対応することは必要です。

けれど、

その現実によって
何が浮かび上がっているのかを見ないまま、

外側だけを変え続けても、

まだ理解されていないテーマがあれば、

同じテーマが、
また違う形で現れることがあります。

だから、

痛みがあるときに大切なのは、

ただ苦しみに
耐えることではありません。

その現実の中で、
自分は何に苦しんでいるのか。

何を恐れているのか。

何を握りしめているのか。

何がなければ、
幸せになれないと思っているのか。

そこに、

自分が理解するべきテーマを知るための
手がかりがあります。

痛みを通して、分離は統合へ向かっていく

人には、

頭で知るだけでは、
理解できないことがあります。

だから、

人生の中で
実際の現実を通過し、

ときには、
痛みを経験しながら、

それまで分からなかったことを
理解していきます。

その理解によって、

選択が変わる。

行動が変わる。

人との関わり方が変わる。

そして、

それまで自分の中にあった
分離や執着が、

少しずつ、
統合へ向かっていく。

痛みのある現実もまた、

人が理解し、
分離から統合へ向かっていく、

人生の大きな仕組みの中にあります。

では、

こうして理解を重ねていけば、

いつか人生のすべてが分かり、

不確実なことは
なくなるのでしょうか。

次回は、

人生から不確実さが消えることはない

というお話です。

続きはこちら▼

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