はじめに
この記事は「人生の構造シリーズ」の第5回です。
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人生の仕組みを知っても、正解は分からない
ここまで、
人生の仕組みについて、
いくつかの角度からお話してきました。
不足感から、
「分離」が生まれること。
本来自分が引き受けるものと、
相手が引き受けるものの、
責任や境界が
ずれることがあること。
まだ理解されていないテーマは、
形を変えながら、
人生に繰り返し現れること。
そして、
人はときに、
痛みのある現実を通して、
それまで分からなかったことを
深く理解していくこと。
ここまで読むと、
人生の仕組みや原理が
見えてくると思います。
けれど、
ここで大切なことがあります。
人生の仕組みを知ることと、
自分の人生の正解が分かることは、
まったく別の話です。
原理はあっても、未来は分からない
たとえば、
物を高いところから落とせば、
下へ落ちます。
そこには、
重力という原理があります。
けれど、
人生の原理を知ったからといって、
明日、
自分に何が起きるのか。
今の選択が、
どんな未来につながるのか。
この道を選べば、
本当に思ったとおりになるのか。
そのすべてが
分かるようになるわけではありません。
原理があることと、
未来が確定していることは違います。
人生には、
最後まで、
分からないことが残ります。
因果の法則も、人生を裁くためのものではない
私は、
まだ理解されていないテーマが
現実の問題として現れる仕組みを、
「因果の法則」という視点から
お話しています。
けれど、
それは、
「苦しんでいる人には悪いカルマがある」
「問題があるのは、
まだ理解できていないからだ」
「もっと成長すれば、
悪いことは起こらなくなる」
のように、
自分を罰したり、
他者を裁く道具ではありません。
因果の法則は、
人を評価したり、
人生の善悪を判定したりするためのものではなく、
現実に起きていることを、
正確に理解するための原理です。
「正解を知れば安心できる」という執着
そして、
人生の仕組みを知ろうとするときにも、
人はまた、
別の執着を
持つことがあります。
「人生の正解を知りたい」
という執着です。
どうすれば、
間違えずに済むのか。
何を選べば、
幸せになれるのか。
どの道なら、
失敗しないのか。
人生の原理を知れば、
そうした答えまで
分かるのではないか。
そう考えることがあります。
けれど、
ここには、
一つの矛盾があります。
安心するために、
正解を探している。
失敗しないために、
原理を知ろうとしている。
未来への不安から逃れるために、
「これさえ分かれば大丈夫」
というものを
手に入れようとしている。
つまり、
不足感から離れようとして、
また不足感から何かを求めている。
という構造です。
分からないまま、自分で選ぶ
人生から、
不確実さを
完全になくすことはできません。
何が正しいのか。
この選択でいいのか。
この先、
何が起きるのか。
分からないことは、
最後まで残ります。
それでも、
私たちは、
今この瞬間に、
自分は何を選ぶのか
を決めることができます。
誰かに、
正解を保証してもらわなくても。
未来が、
思ったとおりになると分からなくても。
今、
自分が見えているものの中から、
選ぶ。
そして、
その選択によって
生まれたものを、
また現実の中で
引き受けていく。
自由に選べることと、
その選択に責任が伴うことは、
切り離せません。
人生の仕組みは、正解を教えるためにあるのではない
だから、
人生の仕組みを知ることは、
「正しい人生」を
教えてもらうことではありません。
むしろ、
自分がなぜ苦しんでいるのか。
何を恐れているのか。
何に執着しているのか。
なぜ同じことを
繰り返しているのか。
そうした、
今、自分の人生で起きていることを
理解するための視点になります。
そして、
理解したうえで、
では、自分はどうするのか。
そこから先は、
自分で選んでいくしかありません。
では、正解の分からない人生を、
私たちはどのように歩いていけばいいのでしょうか。
そのことについては、
「大いなる流れ」シリーズで詳しくお話しています。
大いなる流れシリーズはこちら▼
ゼロの視点が大切にしていること
このサイト
「ゼロの視点」が大切にしているのも、
誰かの答えを手に入れ、
間違えない人生を
歩けるようになることではありません。
すべてを知ることはできない。
未来を、
完全に予測することもできない。
それでも、
今の自分に見えているものを見て、
必要なら、
これまでの選択を変え、
また現実を生きていく。
分からないものを、
分からないまま残したうえで、
自分で選び、
自分の人生を生きる。
私は、
その姿勢を
大切にしています。
ゼロの視点についてはこちら▼
不確実だからこそ、自由がある
もし、
人生のすべてに
正解が決まっていて、
何を選べば、
何が起きるのかまで、
最初から
分かっていたとしたら。
そこには、
本当の意味での
「選ぶ」という行為は、
ないのかもしれません。
何が起きるか
分からない。
正解も、
保証されていない。
それでも、
今、この瞬間に、
何を選ぶのか。
その選択は、
いつでも、
自分自身に残されています。
人生から、
不確実さが
消えることはありません。
けれど、
不確実だからこそ、
私たちは自分で選ぶことができる。
そして、
選んだ人生を、
自分で生きていくことができる。
それもまた、
人生の仕組みの中にある、
「自由」なのだと思います。
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