人生の仕組みから見る「幸せになれない人」の共通点|責任や境界の配置がずれる構造

①分離と統合の法則

はじめに

この記事は「人生の構造シリーズ」の第2回です。

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幸せになれない人に、共通して見えるもの

前回は、

不足感から「分離」が生まれ、

その分離が、
「統合」へ向かっていく。

そこにある、

「分離と統合の法則」と、
人生の仕組みについて

お話しました。

では、

その「分離」は、
実際の人生の中で、

どのように現れるのでしょうか。

その共通点の一つが、

本来自分が引き受けるものと、
相手が引き受けるものの配置が、
ずれていることです。

これは、

「自己犠牲」

「他者犠牲」

「境界線を越える」

「他人のカルマを肩代わりする」

など、

さまざまな言葉で
表すことができます。

表れ方は違っていても、

その奥には、
共通する構造があります。

本来自分が引き受けるものを、誰かに引き受けてもらう

例えば、

本来自分で考えるべきことを、
誰かに決めてもらう。

自分で選んだことの結果を、
誰かに引き受けてもらう。

自分の生活を成り立たせるために、
誰かが無理をし続ける。

自分が傷つかないために、
相手に我慢してもらう。

一つひとつの出来事だけを見れば、

それぞれ違う問題に
見えるかもしれません。

けれど、

そこでは、

本来自分が引き受けるものを、
別の誰かが引き受けることで、
現実が成り立っています。

反対に、相手のものを自分が引き受けることもある

これは、

誰かに何かを
引き受けさせる側だけの話ではありません。

反対に、

本来相手が考えるべきことを、
自分が考え続ける。

相手が選んだことの結果まで、
自分が背負う。

相手が困らないように、
自分が我慢する。

相手が傷つかないように、
自分の人生を変える。

こうして、

本来相手が引き受けるものまで、
自分が引き受けていることもあります。

一般的には、

こちらの方が
「自己犠牲」と呼ばれやすいでしょう。

けれど、

一方は、
自分のものを相手に引き受けてもらう。

もう一方は、
相手のものを自分が引き受ける。

方向は反対でも、

誰が何を引き受けるのかという配置が
ずれている点では、同じです。

「犠牲」という言葉だけでは見えにくい

この構造を、

「犠牲」という言葉で
表すこともできます。

けれど、

誰が犠牲になっているのかは、

見る立場によって
変わることがあります。

自分では、

「相手のために、
これだけ我慢している」

と思っているかもしれません。

けれど相手は、

「自分のために、
そんなことをしてほしいとは言っていない」

と思っているかもしれません。

反対に、

自分が何かを
引き受けることをやめたとき、

相手から、

「今度は私が犠牲になるのか」

と言われることもあります。

だから、

誰が犠牲者で、
誰が加害者なのか。

そこだけを見ていても、

この構造の本質は、
なかなか見えてきません。

大切なのは、

誰が、何をズレて引き受けているのか。

ということです。

境界が曖昧になると、相手の人生まで引き受け始める

人には、

自分で選び、
自分で引き受ける領域があります。

そして相手にも、

相手自身が選び、
引き受ける領域があります。

ところが、

その境界が曖昧になると、

相手がどう感じるのか。

相手が困らないか。

相手が幸せになれるのか。

相手が失敗しないか。

そんなことまで、

自分がなんとかしようと
することがあります。

けれど、

相手の人生まで、
自分が代わりに生きることはできません。

反対に、

自分の人生を、
誰かに代わりに生きてもらうこともできません。

ここには、

それぞれが自分の人生を生きるための
境界があります。

カルマという視点では「肩代わり」が起きている

因果の法則という視点から見ると、

この構造は、

「他人の負のカルマを肩代わりしている状態」

として現れることもあります。

人には、

自分自身が経験し、

その結果を受け取り、

そこから理解していくものがあります。

ところが、

その結果を
別の誰かが引き受け続けると、

本来その人が
現実から受け取るはずだったものまで、

別の人が
背負うことになります。

だから、

相手を助けることと、

相手が自分で引き受けるべきものまで
代わりに引き受けることは、

同じではありません。

幸せになるためには、配置が本来の場所へ戻っていく必要がある

では、

どうすればいいのでしょうか。

誰かを切り捨てればいい、
という話ではありません。

自分のことだけを考えればいい、
という話でもありません。

大切なのは、

自分が引き受けるものは、
自分が引き受ける。

そして、

相手が引き受けるものまで、
自分が背負わない。

反対に、

自分が引き受けるものを、

誰かに背負わせることで
幸せになろうともしない。

誰かを排除するのではなく、

誰が何を引き受けるのかが、
本来の場所へ戻っていく。

ということです。

それぞれが、自分の人生を生きる

誰かの人生を
代わりに背負うことも、

誰かに自分の人生を
背負ってもらうことも、

一見すると、

愛情や優しさ、

あるいは必要な助けに
見えることがあります。

けれど、

その状態が続くことで、

どちらかが
自分の人生を生きられなくなっているのなら、

そこには、

見直すべき構造があります。

自分の人生は、
自分が生きる。

相手の人生は、
相手が生きる。

そのうえで、

必要なところでは助け合い、
支え合っていく。

自分と相手を分けて排除するのではなく、
それぞれの領域を尊重したうえで関わっていく。

これもまた、

前回お話した、

「分離から統合へ」
という人生の仕組みの一つです。

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