根源的な苦が終わるプロセス|陰陽統合の法則

①陰陽統合の法則

根源的な苦が終わるプロセスは二つある

ここで言う「根源的な苦」とは、
人生の具体的な問題、

例えば、

お金がない。
老いたくない。
病気になりたくない。

そういったものから生まれる苦しみではありません。

もっと存在そのものに関わる問いです。

例えば、

「自分はなぜ生きているのだろう。」

「私はどこに向かっているのだろう。」

「この苦しみには、本当の出口があるのだろうか。」

という問いです。

このような根源的な苦が終わるプロセスには、
大きく二つあります。

一つ目は、苦しみを意味づけることで、問い自体を閉じること

一つ目は、

苦しみに意味を与えることで、
問い自体を閉じるプロセスです。

なぜ、

自分は生きているのか。

なぜ人生に苦しんでいるのか。

この苦しみの末に何があるのか。

そのような、
人生の「分からなさ」に対して、

外側から
「こういう意味だったんだ」
という答えを与えます。

そういう宿命だった。

負のカルマだった。

必然だった。

そのような理解です。

すると、

この苦しみには、
意味がある。

自分には、
果たすべき役割がある。

自分は、
そのために生きている。

と理解されていきます。

つまり、

自分が苦しんでいる理由と、
自分が生きている理由が結びつくことで、

存在理由が確定します。

すると、

「自分はなぜ生きているのだろう。」
という「わからなさ」への問いは、

もうそれ以上、続かなくなります。

こうして、
根源的な問いは閉じていきます。

このプロセスが必要なときもある

私はこのプロセスが、
必要な場面もあると思っています。

あまりに苦しいとき。

人生に意味を見出せなくて、
生きる希望を見失いそうなとき。

そのようなときには、

「私の人生には、意味があったんだ」

という理解が、
助けになることもあるでしょう。

ですが、
一時的に助けられることと、
その意味にしがみつき続けることは別です。

そこにしがみつき続ければ、
やがて、

人生の意味そのものに執着し、
新たな苦しみが生まれることがあります。

「私の人生には、
意味があるはずなんだ。」

「間違っていないよね?」

という苦しみです。

つまり、
このプロセスによって起きているのは、

根源的な苦そのものが、
終わることではありません。

問いを閉じることで、

一時的に、
人生の分からなさから離れているだけです。

二つ目は、苦しみを受入れることで、苦が終わるプロセス

もう一つは、

問いは開いたまま、
苦しみを受け入れることで、
根源的な苦そのものが終わっていくプロセスです。

このプロセスでは、

苦しみに意味を与えることで、
人生の「分からなさ」を、
終わらせることはしません。

なぜ、

自分は生きているのか。

なぜ人生に苦しんでいるのか。

この苦しみの末に何があるのか。

その問いに対して、
何か一つの答えを与えることはしません。

そのため、

根源的な問いは、
すぐには消えません。

問い続ける意味を失う

ですが、

その問いへの
答えが見つかったわけではないのに、

問い続ける必要がなくなることがあります。

苦しみや、
人生の分からなさを、

何かの意味付けや、
自己解釈によって埋めるのではなく、

分からないまま、
受け入れられたときです。

なぜ、
この苦しみがあるのか。

この先に、
何があるのか。

その答えは、
分からないまま。

だから、
人生の分からなさへの問いは、
開いたままです。

つまり、
自分の存在理由が、
何かによって確定するわけではありません。

それでも、

苦しみも、
分からなさもある人生そのものが、
受け入れられていく。

すると、

根源的な問いは、
静かに終わっていきます。

問いを閉じたのではなく、
問い続ける必要が、
なくなるのです。

これが、

苦しみを受け入れることで、
根源的な苦が終わっていくプロセスです。

そして、
これが、

私が伝えている「陰陽統合の法則」です。

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