はじめに
この記事は、
「欲を手放すということ」シリーズの第3回です。
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前回は、
欲を排除し、
「欲のないきれいな自分」
になろうとすると、
自分の中に現れる欲を
監視し続けることになり、
人生そのものが、
つまらない修行のように
なっていく
というお話をしました。
では、
欲を排除しないのであれば、
自分の中にある欲と、
どのように向き合えばよいのでしょうか。
今回は、
欲がなくなっていくプロセスと、
「赦し」
についてお話します。
欲がなくなることと、欲を排除することは違う
欲がなくなっていくプロセスは、
欲を持つ自分を
罰することではありません。
「こんなものを欲しがってはいけない」
「こんな欲を持っている私は駄目だ」
と、
自分の中にあるものを
排除することでもありません。
かといって、
欲しいものは、
すべて叶えましょう。
欲望のままに、
生きましょう。
という話でもありません。
それはただのわがままです▼
ここで扱いたいのは、
人間というものの中にある「欲」を、
赦せるか。
ということです。
それは、
自分の欲だけではありません。
自分にも、他人にもある欲を、
赦せるかということです。
自分の中で排除したものは、他人の中でも許せなくなる
たとえば、
自分は欲しいものを
ずっと我慢している。
「そんなものを求めてはいけない」
と、
自分に言い聞かせている。
そんなとき、
誰かが自分の欲しいものを
素直に求めている姿を見ると、
嫉妬したり、
腹が立ったり、
その人を否定したくなったりすることがあります。
自分の中では、
「それをしてはいけない」
として、
片側を排除しているからです。
だから、
他人がそれをしていることも
許せない。
これは、
自分の中で排除しているものが、
他人との関係の中に
現れている状態でもあります。
自分の欲を赦せていないとき、
他人の欲にも寛容ではいられなくなる。
その裏返しとして、
嫉妬や怒りが
現れることがあります。
赦すためには、欲を理解していく
では、
どうすれば
赦せるのでしょうか。
ここに、
「こうすれば赦せます」
という簡単なテクニックが
あるわけではありません。
必要なのは、
その欲について、
よく理解していくことです。
欲を悪いものとして
排除するのではなく、
そこに本当は何があったのかを
理解していく。
すると、
自分の中に欲が現れたときに、
それをすぐに、
「こんな自分は駄目だ」
と切り離さなくなっていきます。
そして、
他人の中に同じものを見たときにも、
以前とは違う見方が
できるようになっていきます。
それは、
「人間なんだから仕方ないよね」
と、
分かったふりをして
許容することとは違います。
本当に理解したことで、
それまでとは違うプロセスが
自分の中に起きる。
ここでいう「赦し」は、
そういうものです。
それは、待っているだけでは訪れない、調和の状態です▼
欲が終わっていくことがある
私はこれまで、
対話を重ねて、
アルコールへの依存が
終わっていった方を見てきました。
トレード中毒が、
終わっていった方も見てきました。
摂食障害だった方が、
かつて自分が
摂食障害であったことさえ、
少しずつ忘れていくような
プロセスにも伴走してきました。
それらは、
欲を力ずくで
抑え込んだから起きたことではありません。
「欲しがってはいけない」
と、
自分を罰し続けた結果でもありません。
自分の中で
何が起きているのかを理解し、
それまで分離していたものが
統合へ向かっていく中で、
それを必要としていた状態そのものが、
終わっていく。
そのプロセスが起きただけです。
ここでご紹介しているのは、実際の対話の中で見られた変化の一例です。疾病の治療効果を示すものではありません。セッションでは、疾病そのものではなく、その方の中にある欲・執着・分離の構造を扱っています。
欲と赦しについて
欲といっても、
何を求めているのか。
なぜ、それを求めているのか。
何と結びついているのか。
その構造は、
一人ひとり違います。
だから私は、
「欲を赦すためには、
これをしてください」
という方法を、
ここで一律に
書くことはできません。
統合とは、
道なき道なのです。
私とのセッションでは、
その人に実際に何が起きているのかを見ながら、
一人ひとり、
ケースバイケースで対話していきます。
自分の場合は、
なぜこの欲を手放せないのか。
自分の中では、
何が分離しているのか。
そこを具体的に見ていきたい方は、
一対一のセッションをご利用ください。
▼私との一対一の対話について
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