はじめに
この記事は、
「欲を手放すということ」シリーズの第4回です。
シリーズ一覧はこちら▼
ここまで、
欲を排除する「足るを知る」と、
統合することの違い。
欲を抑え、
「欲のない自分」になろうとすると、
自分を監視し続ける修行のような人生になっていくこと。
そして、
欲を持つ自分を罰するのではなく、
その欲について理解し、
赦していくこと
について、
お話してきました。
では、
そうして統合が進んでいくと、
人は、
どのように生きるようになるのでしょうか。
今回は、
統合と「大いなる流れ」
についてお話します。
統合すると、人生が一つの方向へ収束していく
分離しているとき、
人は、
さまざまな方向に
エネルギーが分散しています。
頭では、
こうした方がいいと思っている。
けれど、
実際には、
違うことを選んでいる。
こう生きたいと思っている。
けれど、
現実では、
そこから離れる行動をしている。
本当は自分が努力すればいいと
頭では分かっている。
けれど、
うまくいっている人を妬み、
怒りや嫉妬のエネルギーを相手に向けてしまう。
そんな風に、
自分の中にあるものが、
それぞれ違う方向を
向いている状態です。
統合が進んでいくと、
それらの分離していたエネルギーが、
少しずつ、
バラバラではなくなっていきます。
自分が考えていること。
感じていること。
選んでいること。
そして、
実際に生きている現実。
それらが、
一つの方向へ
収束していくようになります。
これが、統合です。
「欲がある・ない」という二元では説明されない
私の感覚では、
統合の先には、
いわゆる一般的な意味での
「欲」という概念自体が、
なくなっていくように感じます。
ですが、
統合の先で起きることを、
あえて「欲」という言葉で
説明するなら、
こうでしょうか。
欲をなくしたから、
何も求めなくなるのではありません。
反対に、
欲を肯定して、
欲しいものを何でも求めるのでもありません。
自分が考えていること。
感じていること。
選んでいること。
そして、
実際に生きている現実。
それらが
バラバラではなくなり、
一つの方向へ収束していく。
その中で、
自分が望むものそのものが、
原理に沿ったものになっていきます。
もっと簡単な言葉で言えば、
自分の欲そのものが、
原理に反しないものになっていく。
つまりその欲の先に、
誰かを傷つける現実がない。
誰かを踏み台にする現実がない。
自分を犠牲にする現実もない。
むしろ、
人が幸せになっていく現実をつくること自体が、
自分の望むこと=欲になっている。
そのような状態と
言ってもいいかもしれません。
私自身が感じている、
「統合後の内的感覚」については、
こちらの記事で詳しく書いています▼
ただし、
ここでいう「統合後」とは、
一度統合したら、
それですべてが終わるという意味ではありません。
統合とは、
「統合したか、していないか」
という二択で
分けられるものではなく、
そこには深さがあります。
ここでは、
その一つの状態を切り取って、
「統合後の内的感覚」と表現しています。
「この欲は持っていていいのか」という発想が出なくなる
だから、
「この欲は、
持っていていいのだろうか」
「これは欲だから、
手放さなければならないのではないか」
と、
自分の中にあるものを
二つに分けて、
片方を排除しようとするプロセスが発生しません。
そもそも、
そのような「分離」自体が起きなくなっていく。
統合の先にあるのは、
「欲をなくした自分」ではなく、
自分の内側と、
自分が生きる現実が、
一つの方向へ収束していくこと。
私は、
その状態を、
「大いなる流れを生きる」
と表現しています。
人の幸せと、自分の幸せが分かれなくなっていく
私が尊敬している、
「大いなる流れを生きている方」について、
少し書きます。
その方は、
ご自身のビジネスで利益を出し、
その利益を使って、
海外の、
泥水しか飲めない環境にいる子どもたちへ、
きれいな水を届けています。
けれど、
それは、
自己犠牲ではありません。
ただその笑顔が見れることが、
嬉しい。
と、ご本人は仰っています。
そこに、
生きている実感と、
喜びを感じていることが伝わってきます。
だからといって、
自分の楽しみを
我慢しているわけでもありません。
人生そのものを、
とても楽しんでいます。
海外でカジノへ行けば、
どうやったら勝てるのかを考えながら遊ぶ。
そこで美味しいパスタを食べる。
株式投資でも、
利益を上げ続けています。
「人のために生きるのだから、
自分の欲は我慢しなければならない」
という生き方ではないのです。
かといって、
無理に何かを奪ったりしない。
誰かを犠牲にしていない。
自分自身も、
人生を楽しんでいる。
自己犠牲、他者犠牲の先に、本当の幸せはありません▼
そして、
人が幸せになっていくことにも、
喜びを感じているのです。
この方のように、
自分の幸せと、
人の幸せが、
分かれなくなっていく。
自分の内側と、
実際に生きる現実が、
一つの方向へ収束していく。
そういう生き方があります。
それが、
「大いなる流れ」を生きる
ということです。
「大いなる流れ」については、
こちらの記事でも詳しくお話しています▼
ひとりひとりの「大いなる流れ」がある
ここまで読んで、
「とてもじゃないけれど、
自分がそんなふうに立派になれるとは思えない」
と感じた方も
いるかもしれません。
もしそうなら、
その考えは、
一度やめてみてください。
それは、
「正しい生き方」を
探してしまっているのかもしれません。
もし、
「これが正解の生き方だ」
「こう生きるのが善だ」
と、
外から提示された正解を
目指して生きるとすれば、
それは、
とても不自由なことではないでしょうか。
あなたは、
あなたの人生を生きるのです。
できることも、
性格も、
特性も、
与えられているものも違う。
生きる道は、
ひとりひとり違います。
だから、
他人の人生を見て、
「自分も、
あの人のようにならなければ」
と比べる必要はありません。
それぞれが、
今、
自分に与えられているものの中で、
自分にできることを生きていく。
その先で、
ひとりひとり違う、
自分自身の「大いなる流れ」に出逢うことができます。
もちろん、
何もしなくても、
いつか自然とそうなる、
ということではありません。
そのために、
何度でも壁にぶつかって、
何度でも間違えて、
何度でもやり直していい。
人は、変われるのです。
私はこれまで、
人の中で
分離していたものが、
少しずつ統合され、
生きる現実そのものが
変わっていく過程を、
対話を通じて見てきました。
そして、
その過程に立ち会えることは、
私にとっても喜びです。
そうして、
一人ひとりが
自分自身の大いなる流れを生き、
その人自身が
幸せに生きることで、
また誰かが
幸せになっていく。
私は、
そんな人が、
一人ずつ増えていってほしい。
そう願って、
この活動をしています。
この記事は、
「欲を手放すということ」シリーズの第4回です。
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