神と執着の関係|なぜ人は「神とは何か」を知りたくなるのか

①分離と統合の法則

はじめに

この記事は、
「精神世界とナラティブ」シリーズの第1回です。

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なぜ「神とは何か」を知りたくなるのか

神はいるのか。

自分を見守っている存在はいるのか。

この人生には、
あらかじめ意味があるのか。

死んだらどうなるのか。

自分は、
何のために生まれてきたのか。

人はそういった、
見えない世界を、
その構造を、

知りたくなります。

そして、

こうした問いに
答えが見つかると、

人は、

世界を少し
理解したような気がします。

自分が何者なのか。

どこから来て、
どこへ向かっているのか。

自分と世界は、
どのような関係にあるのか。

そういった問いに、
一つの答えが生まれます。

精神世界やスピリチュアル、
宗教などでは、

こうした問いについて、
さまざまな思想が語られています。

でも、

このシリーズで私がしたいのは、

「本当の答えはこれです」

と、
新しい何かを提示することではありません。

むしろ私が伝えていきたいのは、

「この世界がどうなっているのかを知りたい」

という思いと、

私がこのサイトで書いている
「何者かの執着」との関係です。

答えによって、自分と世界との関係が決まる

たとえば、

神は自分よりも
上にいる存在で、

自分を見守り、
正しい方向へ導いている。

という考え方があります。

そう捉えれば、
自分と世界との関係は、

「導く存在」と
「導かれる自分」

として理解されます。

反対に、

「本当は自分自身が神だった」

という答えを持てば、

今度は、
「私は神という何者かである」

という自己認識が
生まれることがあります。

このように人は、

自分自身が、この世界と
どのような関係にあるのか。

それについて、

意識しているかどうかにかかわらず、
何らかの認識を持っています。

そして、その認識によって、

どのような世界観の中で、人生を送るのか

も変わってきます。

ここで私は、

「では、どれが本当の答えなのか」

という話をしたいわけではありません。

私がこのサイトを通して、
伝えていきたいことは、

あなたが、自分と世界との関係を
どのように認識しているのか。

そして、

その世界観の中で、
あなた自身がどのような執着を握っているのか。

ということです。

神がいるか、いないかを否定する話ではありません

ここは、
誤解のないように
お伝えしておきたいと思います。

私は、
神や見えない存在など、

一般に
「見えない世界」と呼ばれているものを、

否定したいわけではありません。

私自身、
覚醒と呼ばれる体験を経て、

一般に
「見えない存在」と呼ばれるものを
認識することがあります。

だからこれは、

「そんなものは存在しない。
だから信じるのをやめましょう」

という話ではありません。

というか、
そもそもこの記事の論点はそこではないのです。

私が問いかけたいのは、

もっと別のところです。

なぜ、その答えが必要なのでしょうか

神はいる。

神なんていない。

魂は成長するために生まれているんだ。

人生には意味があるんだ。

自分自身が神だったことを思い出せ。

あらゆる考え方があります。

でもここで、
考えてみてほしいのです。

答えがなければ、
何が不安なのでしょうか。

自分が何者なのかを
なぜそんなに知りたいのでしょうか。

人生に意味があると
なぜ確信したいのでしょうか。

自分より大きな何かに
なぜ守られていると思いたいのでしょうか。

そこには、

神について考えているようで、

実は、

自分自身の生き方についての問い

が隠れていることがあります。

この記事は、

「その根底を見てみてはいかがですか」

という問いです。

次回

このシリーズでは、

神についての
「正しい答え」ではなく、

神や魂、見えない世界についての考え方によって、

私たちは自分と世界との関係をどう捉え、

どのような世界観の中で生き、

そこにどのような執着が生まれるのか。

そこを、
一つずつ見ていきたいと思います。

次の記事では、

見えない世界を理解するときに
人間がつくる、

「物語(ナラティブ)」

について書いていきます。

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