はじめに
この記事は、
「欲を手放すということ」シリーズの第1回です。
シリーズ一覧はこちら▼
「足るを知る」は一つではない
「足るを知る」という言葉があります。
必要以上に求めない。
人と競わない。
欲張らない。
淡々と、
自分にできることだけをする。
一見すると、
とても穏やかで、
執着の少ない生き方に見えます。
けれど、
同じように、
「足るを知っている」
状態に見えても、
そこには、
二つの異なる状態があります。
その「足るを知る」は、統合か、分離か
同じ、
「足るを知る」
という状態に見えても、
その内側では、
「統合」なのか、
「分離」なのかによって、
大きな違いがあります。
一つは、
さまざまな経験や理解を通して、
本当に、
「これで十分なのだ」
と分かった状態。
これは、統合です。
もう一つは、
もう失敗したくない。
これ以上、傷つきたくない。
そのために、
自分の中にある欲そのものを排除し、
「これで十分なのだ」とした状態。
これは、分離です。
「もう傷つきたくない」から、足るを知ろうとしていないか
人は、
幸せになりたくて、
自分を変える方法や、
人生の答えを探し、
「今度こそ」と
何度も試すことがあります。
けれど、
思ったようにはならなかった。
そんなことを
繰り返していると、
求めることそのものに
疲れてしまうことがあります。
もう期待して、
がっかりしたくない。
もう、
失敗したくない。
だから、
「今あるもので十分だ」とする。
そして、
「もう期待しない方がいい」
「欲しがらない方がいい」
「余計なことをしない方がいい」
と考え、
これ以上失敗することを避けるために、
自分の中にある
「何かを求める気持ち」
そのものを排除し、
安泰を得ようとする。
すると、
以前より、
静かに生きられるようになることがあります。
けれど、
見るべきは、
それが本当に、
「もう求める必要がない」
と分かった統合の結果なのか。
それとも、
これ以上傷つかないために、
求めること自体を排除している、
つまり分離なのか。
そこに、
大きな違いがあるのです。
内面の分離を見えなくしているだけかもしれない
もちろん、
求めることを止めたものの中には、
本当に必要がなかったものも、
あるでしょう。
けれど、
その動機が、
これ以上、
苦しみたくないから。
これ以上、
傷つきたくないから。
「今あるもので十分だ」
と、
何かを見ないようにしているのであれば、
根底にあるものは、
実は変わっていません。
葛藤は、
一時的に静かになります。
けれどそれは、
分離がなくなったのではありません。
一方を排除することで、
分離を見えなくしている状態です。
統合とは、片方を排除することではない
私との対話では、
「分離」を
「統合」へと向かわせます。
統合とは、
正しい方だけを残すことではありません。
欲しがらない自分を残して、
欲しがっている自分を
消すことでもない。
満足している自分を残して、
まだ何かを求めている自分を
退けることでもない。
自分の中にあるものを
排除することで、
きれいな状態を
作ることでもありません。
統合へ向かう道は、道なき道
欲を排除することで、
「足るを知ろう」とすることと、
統合が進んだ結果として、
本当に「足る」を知ることでは、
そこに至る過程が違います。
統合へ向かう過程では、
決まったルールに沿って、
「これは欲だから、
持たない方がいい」
「これは執着だから、
手放した方がいい」
「足るを知って、
今あるもので満足しなさい」
「それは間違っている」
「こう生きなさい」
と、
正しい生き方を
決めることではありません。
ひとりひとりが幸せである、
生き方、在り方。
その「大いなる流れ」に向かう道筋に、
決まった道筋もなければ、
答えなどないのです。
統合は、現実と接地していく
統合とは、
頭の中だけで理解する、
机上の空論ではありません。
自分の中で、
何かを理解する。
そして、
その理解が、
実際の選択に現れる。
行動が変わる。
人との関わり方が変わる。
現実の中で、
それまでとは違うものを
選ぶようになる。
そうして、
内面で起きた理解が、
現実との一致へ向かっていく。
そこまでを含めて、
はじめて、「統合」です。
だから、
統合とは、
現実から離れて、
もう傷つきたくないからと、
何も求めなくなることではありません。
むしろ、
自分の中にあるものを排除せず、
現実の中で確かめていく。
その過程で、
必要のないものは、
削ぎ落とされていく。
そうして、
少しずつ、
自分と現実との間にあった
ずれが小さくなっていきます。
分離と統合の法則については、
こちらの記事で詳しくお話しています▼
大いなる流れを、分離と統合から見る
このことは、
これまでお話してきた
「大いなる流れ」
にもつながります。
大いなる流れに乗るとは、
失敗を避けるために、
あらかじめ
正しい生き方を決めることではありません。
自分の中にあるものを
排除せず、
現実を生きていく。
その中で、
できないものや、
必要のないものが、
少しずつ
削ぎ落とされていく。
つまり、
失敗しないために、
「足るを知る」のではなく、
現実を生きた結果として、
本当に「足る」を知っていく。
大いなる流れについてはこちら▼
静かであることと、統合されていることは同じではない
失敗を避けるために、
「足るを知る」という人も、
統合へ向かう中で、
本当に足るを知り、
余計なことをしなくなった人も、
外から見れば、
よく似ているかもしれません。
欲張らない。
人と競わない。
必要以上に求めない。
穏やかに見える。
けれど、
一方は、
「もう失敗したくない」から、
可能性を閉じた先にある静けさ。
もう一方は、
自分の中にあるものを
排除せず、
実際に現実を生きた結果、
必要のないものが削ぎ落とされた先にある静けさ。
だから、
「足るを知る」
という状態だけを見ても、
その人の内側で
何が起きているのかは分からないということです。
そして、
大いなる流れを生きることは、
自分の中にあるものを排除し、
分離したまま、
「足るを知る人」になることではありません。
同じように見える二つの「足るを知る」は、
「分離と統合」という視点から見ると、
このような
大きな違いがあります。
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