「なぜ生きるのか」という苦しみ|何者かという執着【Who am I?】

⑤「何者か」の執着

はじめに

この記事は「執着の解放シリーズ」の第7回です。

シリーズ一覧はこちら▼

今回も「自分への執着」のお話です。

ただし、
これまで扱ってきた執着と切り離されたものではなく、
むしろそのさらに奥にあるテーマです。

そのため、
外的干渉による執着や、
他人や物事への執着、
他人から執着される構造、
人間関係への恐れが整理されていない状態では、
少し理解しにくい部分もあるかもしれません。

まだ読まれていない方は、
先にそちらの記事から読んでいただくことをおすすめします。

執着の解放シリーズ▼

ページが見つかりませんでした – ゼロの視点

この記事を読んでほしい人

前回は、
「私には価値があるのか」
というテーマについてお話しました。

今回の記事は、

そうした自己価値の問題と向き合い、
整理してきた人ほど、
ぶつかりやすいテーマです。

仮に、

「あなたには価値がある」

と自他ともに認められたとして、
それで人は本当に安心するのでしょうか。

私が見てきた限り、
人の無意識は、
そのような構造ではありません。

なぜなら、
そのさらに深い部分にも、
執着があるからです。

人は何者かを知りたがる

人は、
自分が何者なのかを知りたがります。

それは、
特別な人だけではありません。

子供も、
大人も、
男性も、
女性も、

人は、
自分がどんな人間なのか。
何のために生きているのか。
どういう存在なのか

知りたがります。

なぜ答えが欲しくなるのか

人は、
自分が何者か分からない状態に耐えられません。

なぜなら、
それでは不確実なままだからです。

私は何者なのか。

どこへ向かうのか。

何のために生きているのか。

それが分からない状態は、
非常に不安定です。

だから人は、
何らかの答えを持ちたくなります。

人は様々な答えを作る

そして、
人はその問いに対して、
様々な答えを作ります。

私は、

優しい人間だ。

努力家だ。

成功者だ。

被害者だ。

あるいは、

何者でもない。

普通の人間だ。

私は私だ。

形は違いますが、

どれも

「私は何者か」

という問いへの答えです。

その答えが執着になる

では、

本当の自分や、
その答えを見つければ良いのでしょうか。

私が見てきた限り、

私はこういう人間だ。

その答えを見つけたとき、
人は新たな執着が始まります。

だから問題は、
答えを持つことではありません。

その答えにしがみつくことです。

だからこのサイトは、

「本当の自分を思い出しましょう」
「ありのままの貴方に戻りましょう」

という話をしているわけではありません。

あるいは、

「本当の自分などない」や、
「何者でもなかったことに気付くのが正解」
「自分探しを終わらせましょう」

という話をしているわけでもありません。

それらもまた、
完成した自己像を持とうとする動きです。

そして人は、
そのたびに新しい答えを握ります。

なぜその問いを握り続けるのか

では、
人はどうしたらいいのでしょうか。

私は、
自分についての答えを見つけようとして、

悩み、
苦しみ、
目の前のことがおろそかになってしまっては、

本末転倒だと思います。

だから、

自分は一体、人生で何を探し続けているのか

に、気付くことが必要なのかもしれません。

そしてその気付きは、
しばしば人生の大きなテーマと結びついています。

「自分は何者なのか」

という問いは、
人生のテーマが理解されるまで、
形を変えながら何度も現れます。

私とのセッションでは、

なぜあなたが何者なのかを探し続けているのか。

その背景にどのような人生のテーマがあるのか。

そうしたことを
一緒に整理していきます。

なぜ、
その問いが生まれているのか。

なぜ、
その苦しみが繰り返されるのか。

そうした視点から、
目の前の現実にどのように向き合えばよいのかを整理しながら、
執着を解いていく対話を行っています。

この記事は「執着の解放シリーズ」の第7回です。
シリーズ一覧はこちら▼

タイトルとURLをコピーしました