【覚醒編】全てを手放し「更地」になった日|擬似的な出家体験とゼロの視点の原点

①活動の経緯

幸せの絶頂

私は結婚し、
思い描いていた通りの幸せを手に入れました。

夫は穏やかで、
私の希望を全て叶えてくれる優しい人でした。

結婚後の生活は、順調でした。

共働きだったこともあり、
貯蓄が順調に増えていきました。

その貯蓄を頭金に、
オーダーメイドのマイホームを建てました。

さらに、約1年間の不妊治療を経て、
ようやく子どもにも恵まれました。

その頃には、
投資にも追い風が吹き、

30代前半で金融資産は1,000万円を超え、
家庭も少しずつ落ち着き始めていました。

そうして、
気が付けば、

学生時代のどん底から、

家庭にも、
仕事にも恵まれ、
経済的にも余裕のある、

穏やかな暮らしを築いていました。

今振り返れば、

当時の私は、
人生を立て直し、
望んでいた幸せに囲まれていました。

夫と子どもと、
ただ穏やかな毎日を過ごしていました。

それまで経験したことのない異変

そんな穏やかな日々の中、

私に、
それまで経験したことのない、

ある異変が起きました。

激しい頭痛。

そして身体中の痛み。

それと同時に、

言葉では説明できない感覚が、

次々と入ってくるようになったのです。

受け取っていた感覚

私は、

言葉では説明できない感覚を、
次々に受け取っていきました。

その感覚は、
次のようなものでした。

ここにいてはいけない。

そのままでは理解できない。

全部、手放しなさい。

やりなさい。やれば分かる。

子どもも。

夫も。

マイホームも。

安定した仕事も。

一生懸命貯めてきた貯金も。

金融資産も。

想い描いていた未来を。

全部。

私は、
その感覚が伝えてきた内容に、
衝撃を受けました。

そして当時は、
何が起きたか理解できませんでした。

後から振り返り、

これは「覚醒体験」だったのだと、
今は理解しています。

自分の頭がおかしくなったと思った

当時の私は、
自分の頭がおかしくなってしまったのだと思いました。

その感覚と、
身体の痛みは、
24時間収まりませんでした。

そして、

夫にも相談し、
病院へも行きました。

心理カウンセリングも受けました。

できることは、
一通り試したと思います。

ですが、

この感覚について納得できる答えは、
どこにも見つかりませんでした。

仕事は休み、

最低限の家事と育児をこなすだけで、
一日が終わってしまうような毎日でした。

それでも、

この感覚は、
消えることなく続きました。

鳴り止まない感覚

その感覚は、

24時間、
夢の中まで、
途切れることなく、

ここにいてはいけない。

そのままでは理解できない。

全部、手放しなさい。

やりなさい。やれば分かる。

そう、
鳴り響いていました。

ですが、
何度病院へ行っても、
心理カウンセリングを受けても、

納得できる答えは、
見つかりませんでした。

そして、
どうしたらいいのか分からないまま、
その感覚は毎日続いていきました。

私は仕事を休み、
心身ともに疲れ果てていました。

体重も大きく減り、
激しく憔悴していきました。

家族もまた、向き合うことになった

この感覚について、

夫とは、
何度も話し合うようになっていました。

夫も、
最初は理解できなかったはずです。

その感覚が示していたのは、

単に仕事を辞めたり、
一時的に環境を変えたりすることでは、
ありませんでした。

家を出ること。

これまで築いてきた家庭そのものを、
手放すこと。

子ども。

夫婦の関係。

この先の人生。

人生そのものが、
根底から、
大きく変わってしまうような話でした。

そのため、

この感覚は、
私一人の問題ではなく、

家族全体が、
向き合う問題になっていきました。

しかし、

何度話し合っても、
答えは出ませんでした。

夫の言葉

今日も答えは出なかった。

また明日も分からない。

この感覚は止まるのか。

自分たちはどうなるのか。

そんな日々が、
何か月も続いていきました。

そして、
半年ほどが過ぎたある日、

夫が、
こう言いました。

「ここで止まっていても何も分からない。」

「取りあえず感覚通りにやってみて、
確かめてみるしかないのではないか。」

「どうなるか、
事実を見なくては、
何も判断材料がない。」

私は、
その言葉を聞いた瞬間、

大きな電気ショックを受けたような感覚になりました。

やってみて確かめるしかない

何かが、
ズドンと落ちるような感覚だったのです。

「やってみて確かめるしかない。」

夫が、
簡単にその言葉を口にしたとは、
思えません。

でもそれは、
私の中で、

静かに、
何度も何度も、
反響していました。

今振り返ると、

あの時の夫は、
どうにもならない状況の中で、

私のことを、
そして子供たちのことを、

全体を見て、
その言葉を口にしたのではないか。

そう感じられるのです。

感覚に従う決断

このまま立ち止まっていても、
何も分からない。

現実に何が起きるのかを見なくては、
何も判断できない。

そして、
激しい葛藤の末、

半年間続いていたその感覚に、
私は、
ついに従うことを選びました。

納得できたわけではなかった

ですが、

正直に言うと、
私は納得していたわけではありませんでした。

私が一番納得できなかったのは、

その「見えない感覚」が、
責任を取ってくれるわけではない。

ということでした。

つまり、
いくらその「感覚」があろうと、

家を出るのも、
子どもたちと離れて暮らすのも、
夫の人生を大きく変えてしまうのも、

現実には、
すべて自分の選択の結果です。

その先に、
何が待っているのか。

誰にも分かりません。

そもそも、
その感覚が何なのかさえ、
私には分かりませんでした。

それでも、
従うかどうかを、
自分で決めるしかない。

そして、
その結果何が起きても、
自分が引き受けるしかない。

私は、
得たいの知れない、何かも分からないものに従うことを、
自分で決断しなければならない。

その理不尽さに、
納得がいかなかったのです。

「大丈夫だから行きなさい」という感覚

ですが同時に、

私は、

大丈夫だから、行きなさい。

という感覚も、
受け取っていました。

私は何度も、

何が大丈夫なの。責任取ってくれるの。

そう問いかけました。

ですが、
その答えが返ってくることは、
ありませんでした。

返ってきたのは、

お前が責任を持てるのは、自分の選択までだ。

その先に起きることは、思い通りにはできない。

だから、手放しなさい。

という言葉でした。

その意味は、
表面的な言葉では理解できても、

当時は、
それが何を意味するのか、
分かりませんでした。

本当に理解できたのは、
ずっと後になってからでした。

わからないまま進むしかない

結局、

当時の私は、
納得できる材料はひとつもありませんでした。

ですがもう、
やってみるしかありませんでした。

自分にできることは、
最後までやる。

起きることは、
受け止める。

その覚悟だけを持って、
わからないまま、

起きることを受け入れる覚悟で、
前へ進むしかありませんでした。

全てを手放した日

こうして、
私は夫と子どもを残して、
愛着のあったマイホームを出ました。

引っ越し費用と、
当面の生活費だけを手に、

離れた場所で、
一人暮らしを始めたのです。

それは、

私にとって、

それまで築いてきた人生を、
一度ゼロに戻すような決断でした。

もう、
以前と同じ人生には戻れない。

そんな覚悟で、
家を出たのです。

すべてが更地に戻った。

そんな、
たった一人で行う、
擬似的な出家のような生活でした。

当時は、

なぜそのような感覚を受け取っていたのか。

なぜ、
ここまでしなければならなかったのか。

まったく理解できませんでした。

ですが、

この体験を通して、
私は少しずつ、

人が苦しむ本当の理由や、
執着が生まれる構造を、

身をもって理解していくことになります。

それは後に、

現在の「ゼロの視点」の土台となる、
大きな原体験になっていきました。

※この記事は、私自身の実体験を記録したものです。
同じ行動を勧めることを目的としたものではありません。

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