はじめに
この記事は「因果の法則シリーズ」の第4回です。
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生まれながらの問題を、どう見るのか
病気。
障害。
発達特性。
家庭環境。
人生には、
自分が物心ついたときには、
すでにそこにあったものがあります。
では、
こうしたものを
「人生のテーマ」という視点から見るとき、
どのように考えればいいのでしょうか。
まず、先にお伝えしたいのが、
病気や障害そのものが、
一律に「負のカルマ」ではない
ということです。
同じような現象に見えても、
その人の人生全体の中で、
それがどのような意味を持っているのかは、
一人ひとり異なります。
だから、現象だけで
「病気だから負のカルマ」
「障害があるから、このテーマ」
と捉えるものではありません。
大切なのは、
その人の人生全体の中で、
その現実がどのように配置されているのか。
そして、
その中で何に苦しみ、
何を繰り返し、
何を理解しようとしているのか。
ということです。
人生にある「宿命的な配置」
私は、
人生について多くの方のご相談を受けてきました。
その中で、
大切な概念としてお話しているものの一つが、
人生には「宿命的な配置」がある
ということです。
どの家庭に生まれるのか。
どのような身体を持って生まれるのか。
誰と出会うのか。
どのような問題を繰り返すのか。
といったことです。
そして、人が本当に前へ進み始めるのは、
「なぜ、こんな人生なのだろう」
と、
その現実に抵抗し続けているときではありません。
それまで
バラバラに見えていた人生の出来事が
パズルのピースのようにつながり、
自分が人生を通して理解すべきテーマを、
深く理解し始めたときです。
すると、
それまで苦しみでしかなかった
宿命的な配置についても、
「この苦しみは、
自分がこのテーマを理解するための配置だったのか」
と、
その意味が分かるようになります。
そして、
その理解に至ったとき、
それまで握りしめていた執着が解け、
止まっていた人生の歯車が、
少しずつ動き始めます。
人生で理解すべきテーマが、現実の問題として現れている
人は、
人生の中でさまざまな問題に直面し、
苦しみます。
たとえば、
繰り返される人間関係。
お金をめぐる問題。
家庭内で起きる問題。
病気や特性にまつわる苦しみ。
そういった、
人生の中で
繰り返し向き合うことになる現実です。
私は、
人生でまだ理解されていないテーマが、
こうして現実の問題として現れている状態
を、
「負のカルマの現実」
と呼んでいます。
負のカルマとは
「負のカルマ」と聞くと、
罰や報いのようなものを
想像する方もいるかもしれません。
ですが、
私が「ゼロの視点」を通して
お伝えしているカルマとは、
そういった概念ではありません。
その人が幸せになっていくために必要な、
まだ理解されていないことが、
現実となって現れているものです。
だから私は、
執着を解いていくために、
その人が、
その現実のどの部分に、
どのように苦しんでいるのか。
つまり、
「負のカルマの現実」を、
あるがまま見ること
を大切にしています。
そこに、
執着を解くためのヒントが、
すべて詰まっているからです。
痛みがあるからこそ、テーマが深く理解される
人は、
最初からすべてを
理解しているわけではありません。
理解できていないこと。
偏っていること。
執着していること。
そうしたものがあります。
たとえば、
「見返りを求めない愛情」
を、
まだ深く理解していない人がいたとします。
すると
その人の人生では、
愛情に関する欠乏や、
人から理解されない苦しみなどが、
大きな痛みを伴う現実として、
現れてきます。
なぜなら、
人生のテーマに関係する現実は、
必ず、
そのテーマを深く理解するために、
痛みを伴って現れてくるからです。
もし、
理解すべき愛情が
人生に当たり前に存在していたなら、
その価値を深く理解することはなく、
空気のように、
当然のものとして扱っていたかもしれません。
けれど、
欠乏や痛みを経験するからこそ、
愛情とは何なのか。
人を大切にするとは、
どういうことなのか。
見返りを求めないとは、
どういうことなのか。
それまで頭でしか分からなかったことを、
初めて、
体感として、
深く理解していくことができます。
その痛みや苦しみがあるからこそ、
それまで理解できなかった、
本当に大切なことが、
深く理解されていく。
それが、
因果の法則によって現れる
「負のカルマの現実」が、
人生にもたらすものです。
痛みを通過する理由については、
こちらの記事で詳しくお話しています▼
執着が解けても、現実には残るものがある
では、
人生のテーマを理解し、
執着が解ければ、
病気や障害、
家庭の問題なども、
すべて現実から消えていくのでしょうか。
世の中には、
「自分が変われば、すべてがうまくいく」
「内面が変われば、現実もすべて変わる」
といった情報もあります。
ですが、
私が実際に見てきた現実は、そうではありません。
執着が解けたことで、
現実にあった問題そのものが
消えていくこともあります。
一方で、
執着が解けても、
現実には残り続けるものもあります。
では、
執着が解けても現実に問題が残るとき、
それとどう付き合っていけばよいのでしょうか。
また、
問題が残るのなら、
執着を解くことには、
意味はないのでしょうか。
次回は
「執着が解ければ全て上手くいく」の勘違い
というお話です。






