【覚醒後|後編⑤】「ゼロの視点」が生まれた日|覚醒の先にあった「答えを持たずに生きる」視点

①活動の経緯

活動の経緯シリーズのご紹介

前回の記事から、
少し時間が空いてしまいました。

今回はその続きとして、
「ゼロの視点」が生まれた経緯を、
書いていきます。

この記事は、
私のこれまでの歩みをまとめた、
シリーズの一つです。

前回の記事はこちら▼

シリーズ全体はこちら▼

自ら手放すことでしか終わらない苦しみ

私は、
迷いを抱えたまま、
もう一度、進むことにしました。

そのとき、

何か強い決意が、
あったわけではありません。

ただ、
いろいろなものを
手放したあとにも、

自分の中に、
残っているものがありました。

それは、

自ら手放すことでしか、

終わらない苦しみがある。

ということでした。

「退けるべき存在」のような扱いを
受けた出来事を通して、

私はそのことを、
それまで以上に、

深く理解したような気がしたのです。

人は自ら、負の連鎖を終わらせることができる

人は、

自分の中にある
恐れや不安から、

自分を守ろうとすることがあります。

その中で、

自分の正しさを握り、

誰かを裁いたり、
退けたり、

ときには、
誰かを傷つけることさえあります。

けれど、

誰かを退けても、

自分の中にある
恐れや苦しみまで、

なくなるわけではありません。

また何かに脅かされれば、

再び、
自分を守ろうとする。

そうして、

同じような争いや、
傷つけ合いが、

繰り返されていくことがあります。

けれど、

その繰り返しを、

自分のところで、
終わらせることはできる。

自分の中にある
怒りや恐れ。

相手を裁いて、
安心したい心。

自分を守るために、
握り続けているもの。

それがあることに、
自分自身が気づくことで。

誰かに、
変えてもらうのではなく。

誰かを、
変えるのでもなく。

自分は、
何を恐れているのか。

なぜ、
それを握っているのか。

そこを見つめ、

もう必要ではないと
気づいたときに、

自ら、
その手を放していくことはできる。

何か大きな目的が、
生まれたわけではありません。

ただ、

そのことが、

人が苦しみから
離れていくために、

とても大切なのだという思いだけが、

私の中に、
深く残っていました。

守り続けなくても、共に生きていける

人は、
何かに傷ついたとき、

もう同じ思いをしないように、
自分を守ろうとします。

自分の正しさ。

相手への怒り。

こうあるべきだという考え。

自分は間違っていないという立場。

そうしたものを、
強く握ることがあります。

それは、

自分を守るために、

そのときは、
必要だったものかもしれません。

けれど、

握り続けていれば、

人はずっと、
それを失わないようにしなければなりません。

また傷つくのではないか。

自分の立場が、
脅かされるのではないか。

と。

けれど、

自分が何を握り、
何から自分を守ろうとしているのか。


そこに気づくことで、

それまで
自分を守るために使っていた力は、

もう必要ではなくなっていきます。

その先に、

誰かを、
犠牲にしなくてもいい。

自分を、
犠牲にしなくてもいい。

そういった、

調和と呼べるものが、
あるのだと思います。

ゼロの視点とは、何か

このサイトでお伝えしている、

「ゼロの視点」とは、

視点をゼロに戻し、
何事もニュートラルに見ましょう、

という意味ではありません。

感情をなくすことでも、

何にも反応しない
すごい人になりましょう、

ということでもありません。

完成した答えを持って、
完璧な人になりましょう、

ということでもありません。

絶対的な答えを握ることでも、
誰かの教えを信じることでもありません。

ゼロの視点とは、

何が正しいか、
何が間違っているかを決める前に、

一度、
立ち止まる。

そして今、

現実に何が起きているのか、
自分の中で何が起きているのかを、

静かに観察する。

自分を動かしている
恐れや執着に気づき、

自ら手放していく。

そうして、

自分の中の秩序を見いだし、

それに沿って、

現実の中で
選択していく。

ゼロの視点は、

精神的な到達点や、
崇高な何かではありません。

何かを分かった人になるための
ものでもありません。

まだ、
何も知らぬ者として、

日々の現実を、
自分自身を、

いまここで、
あるがままに見るための視点です。

答えを持たないまま、ここにいる

私がこのサイトで書いている記事を読むと、

さも私が、

いろいろなことを
知っている人のように、

見える方も、
いるかもしれません。

でも私は、

何かの答えを持っているから、

「ゼロの視点」を
伝えているわけではありません。

私は、
昔も今も、

自分の選択を迫られ、

迷い、
悩み、
怒り、
悲しみ、

苦しみます。

分からないことばかりの中で、
ただ、生きています。

できることは、

それでも、
自分自身の心を観察し、

何を恐れ、
何を守ろうとし、

何に執着しているのかを
理解していくこと。

分からないものを、
分からないままにしておけること。

それでも、
今、
自分の中で起きていることを、

あるがままに
見つめていくこと。

そうすることが、

私自身の人生、
そして、

これまで多くの方と
対話を重ねる中で、

大切なことなのだと。

そう、
理解してきました。

だから私は、

完成した答えとしてではなく、

人が幸せになっていくために、
大切な視点を、


この活動を通じて、
伝えています。

答えを持たないまま。

不完全なまま。

私自身が、

この視点で、
物事を見つめながら、

今も、
歩いています。

ここから、ゼロの視点が始まった

人は、
すべてを知ることはできません。

覚醒体験があろうが、

原理を知ろうが、

多くの人と対話を重ね、
さまざまなことを理解しようが、

結局、

自分の人生が正しかったのか。

そんなことは一生、

分からないままなのです。

でも、
一つだけ、

分かったことがあります。

それは、

誰かを傷つけても、
何も生まれない。


そうして残るのは、
虚しさだけだということです。

そして、

誰かを裁かなくても、

人と人は、
共に生きていくことができる。

人は、
そう気がついたとき、

自らの意志で、

同じ過ちを繰り返すことを、


断ち切ることが、
できるのです。

その負の連鎖を、
これからも握り続けるのか。

それとも、
ここで手を放すのか。

その選択をする自由は、
いつでも、


今、この瞬間の自分に、
残されています。

私は、

自分自身の人生を通して、
そして多くの対話を重ねて、

気づいてきたことを、

一人でも多くの人と、
分かち合っていきたいと思いました。

自分の中に残ったものを、
言葉にしていく。

自分の中に育ってきたものを、
人との関わりの中で、
分かち合っていく。

その、
小さなともし火が、

私の心を、
照らしていたのです。

そして、
当サイト「ゼロの視点」は生まれました。

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