苦しみを受け入れるとは|我慢や諦めとの違い|陰陽統合の法則

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あるがままとは、何もしないことではない

先日、陰陽統合の法則について記載しました

ここでは、

苦しみも、
分からなさもある人生そのものが、
受け入れられていく。

とあります。

これは、

苦しい状況を受け入れろ。

不幸を我慢しろ。

どうせ幸せになれないのだから諦めろ。

すべては修行だ。

のような意味では、
ありません。

あるいは、

抵抗を止めることが大事だ。

だから、

病気に抵抗するのをやめろ。

治療や対処をするな。

死を無条件に受け入れろ。

苦しい環境から、
離れようとするな。

危険を、
避けようとするな。

災害に、
備えるな。

雨が降っても、
傘をさすな。

不当な扱いを受けても、
声を上げるな。

争いや暴力から、
身を守るな。

飢えや寒さに、
対処するな。

生活を、
よりよくしようとするな。

壊れたものを、
直すな。

害虫を、
駆除するな。

農薬を使うな。

自然に手を加えず、
すべてを成り行きに任せろ。

というお話でもありません。

それは、とても極端な考え方です。

「あるがまま」や、
「抵抗をやめる」ということは、

人間的な営みを、
否定するという意味ではありません。

もし、
そうであるならば、

生きるための営みそのものを、
やめなければならなくなります。

病気を治療することも、

危険を避けることも、

よりよく生きようとすることも、

すべて、
人間の営みの一つです。

苦しみが終わらない根本的な構造

私がお伝えしているのは、

人生に起きることを、
受け入れられず、

抵抗し、

だからこそ、
そこに意味を見いだし、

救済にすがり、

「私は何者なのか。」

という自己定義によって、
自分の存在理由を確定しようとする。

そのことによって、
新たな執着が生まれる。

それが、
苦しみが終わらない、
根本的な構造である。

ということです。

だからこそ、

物事を受け入れ、

抵抗することをやめ、

苦しみに意味を見いだすことをやめ、

救済にすがらず、

自分が何者であるのか、
自分の存在理由を確定しようとしない。

それによって、
新たな執着が生まれなくなり、

苦しみが、
終わっていく。

つまり、

執着が生まれ、
そして終わっていく構造について、
お話をしています。

陰陽統合の法則とは

陰陽統合の法則とは、

「わからなさ」を受け入れること。

答えをつくることで、
問いを閉じるのではなく、

問いが開いたままであることを、
受け入れることです。

それによって、

苦しみを終わらせようとする執着そのものが、
終わっていく。

そのような原理です。

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