中庸とは③ なぜ人は調和を学ぶのか

無意識の構造

人は「調和」を学ぶ方向へ向かっている

①、②はこちら↓

私自身の人生、そしてさまざまな人の人生を見ていると、人は皆、それぞれの葛藤や人間関係、苦しみを通して、最終的には「調和」というものを学ぶ方向へ向かっているように見えます。

「正しさ」と「秩序」は違う

例えば以前の記事でも書きましたが、

「正しさ」と「秩序」は全く違います。

自分の中の正義。

譲れない信念。

「こうあるべき」。

それらを握りしめているだけでは、現実の秩序は見えてきません。

現実をあるがまま見て、

人と人との関係性を見て、

その中で「どうしたら調和へ向かうのか」を見続ける。

その先にあるものが、中庸なのだと思います。

中立だけでは、現実は変わらない

だからこそ、結局、人は「中庸」を学ぶ構造の中にいるのではないか、と感じます。

中立になるだけでは、争いは終わりません。

「自分は悪くない」

「相手も悪くない」

「どちらにも、それぞれの事情があるよね」

そんな中立の見方だけでは、現実は変わらないからです。

中庸とは、「調和」を選び続けること

その先で、

自分というものを見失わず、

相手や全体との調和を見て、

現実の中でどう在るのか。

そこまで行動できて初めて、中庸なのだと思います。

そして私自身、多くの人と関わる中で、結局誰もがそこへ向かう学びの中にいるように感じています。

「中立」の先にあるもの

だからこそ、「中立」で止まるのではなく、その先にある「中庸」という感覚まで、少しずつ見ていく必要があるのだと思います。

それは、ただ優しい人になることでもありません。

ただ我慢することでもありません。

現実の中で、自分も他者も含めた全体を見ながら、それでも主体性を失わずに関わっていくこと。

結局、人はそういうことを学ぶ方向へ向かっているように、私は感じています。

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