二元論とは、「どちらが正しいか」で世界を見ること
セッションでも、よくテーマに上がる「二元論」について解説します。
二元論とは、
「善と悪」
「正しい・間違っている」
のように、物事を二つに分けて考える価値観のことです。
人間関係でよくある二元論は、
「私が正しくて、相手が間違っている」
あるいは、
「私が間違っていて、相手が正しい」
という、「正義はどちらか」という考え方です。
二元論は、人間関係に苦しみを生む
この二元論で物事を考える立ち位置にいると、人間関係において様々な苦しみが生まれます。
例えば、
常に人間関係の中で格付けを意識してしまう。
マウントを取らなければ気が済まなくなる。
逆に、自らへりくだってしまい、相手の言うことを聞く立場に入り、他人にコントロールされて生きるようになる。
そうやって、生きづらさが生まれていきます。
恋人同士、夫婦同士、友達同士でも、常に
「どちらが正しいか」
が意識されます。
すると、
「間違っている相手が直すべき」
「相手が謝罪するべき」
「だから許せない」
という対立構造が生まれます。
二元論の根底には「不足感」がある
では、なぜ人は二元論に入ってしまうのでしょうか。
その原因は、人間一人ひとりの「満たされていない感覚」にあります。
不足感です。
不足感があると、
「満たされたい」
「認められたい」
という承認欲求が生まれます。
あるいは、
「自分一人では生きられない」
「誰かに助けてもらわなければならない」
という感覚から、何かにすがりたくなる依存心が出てきます。
マウントも依存も、構造は同じ
上手にマウントを取れれば、
「ほら、私が正しかったでしょう」
と優越感に浸ることができます。
逆に、へりくだって相手の言うことを聞けば、
「自分は間違っている」
と自尊心を持てず、他人に依存して振り回される生き方になります。
ですがその一方で、
「自分で責任を持たなくていい」
というラクさもある。
依存相手に承認してもらえれば、その瞬間だけは安心できるからです。
つまり、マウントを取る側も、依存して振り回される側も、どちらも根底には「不足感」があります。
「自分がない」から、正しさに執着する
自分の存在価値を、
「他者に必要とされているか」
「認められているか」
に依存している。
つまり、「自分」という感覚がないのです。
だから、自分は正しいと証明しなければならない。
だから、
「私が正しくて、相手が間違っている」
という二元論の概念に入ってしまうのです。
二元論を抜けない限り、苦しみは続く
「自分の人生を、地に足をつけて生きている」
そのような、自分への信頼感を持つためには、この二元論を抜けなければなりません。
もし、人間関係でいつも苦しみがある。
生きづらさが消えない。
対立ばかりが起きる。
そのような場合は、
「私が正しくて、相手が間違っている」
という二元論によって、自ら苦しい現実を生み出している可能性があります。
自分が変わると、人間関係は変わり始める
自分が変われば、相手との関係性も変わります。
いつも他人に認められたい。
お金を持って褒められたい。
満たしてほしい。
だから他人にすがる。
そうやって、実は依存しているから、人間関係や物事がうまくいかなくなるのです。
まずは「自分で自分を満たす」こと
だからまず必要なのは、他人に満たしてもらうことではなく、自分で自分を満たすことです。
その上で、自分のどこに二元論があったのか。
なぜ、自分は「正しさ」に執着していたのか。
その深い部分にある心の状態を見ていく。
そして、考え方に歪みがあれば修正していく。
それが、二元論を抜けていくということなのです。
二元論を抜けた「つもり」の二元論
ですが、二元論は、「私は正しい」「相手が間違っている」という分かりやすい形だけで現れるとは限りません。
時に人は、
「私はもう二元論を抜けた」
「私は中庸である」
という形で、さらに分かりにくい二元論へ入っていくことがあります。
この話については、次の記事で詳しくお話しています
二元論② 二元論を抜けたつもりの二元論↓
中庸と中立の違いについてはこちら↓
「正しさ」の人生を終わらせたい方へ
二元論の人生を終わらせたい方。
何かにすがる人生から解放されたい方。
気になる方は、まずは自分自身の状態をチェックしてみてください↓







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