はじめに
この記事は、
「欲を手放すということ」シリーズの第2回です。
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前回は、
「足るを知る」という
一見穏やかな生き方の中にも、
欲を排除している、
分離の状態がある
というお話をしました。
今回は、
“欲のないきれいな自分”になろうとすると、
人生がつまらない修行のようになっていく
というお話をします。
欲を排除しようとすると、欲を監視するようになる
欲を持たない方がいい。
執着しない方がいい。
求めすぎない方がいい。
そう考えるようになると、
少しずつ、
自分の中に欲がないかを
監視するようになります。
何かが欲しいと思ったとき、
「これは欲ではないか」
誰かを羨ましいと思ったとき、
「執着しているのではないか」
もっとこうなりたいと思ったとき、
「今あるものに満足できていないのではないか」
そうやって、
自分の中に何かが現れるたびに、
これは良い。
これは悪い。
こっちは持っていていい。
こっちは手放さなければならない。
と、
自分自身を
まるでひとりで裁判でもしているかのように、
判定するようになっていきます。
欲を抑えている=欲がなくなったわけではない
けれど、
欲を抑えたからといって、
その欲が
なくなったわけではありません。
欲しいと思った自分に、
「欲しがってはいけないだろ」
と言う。
本当はもっと求めている自分に、
「今あるもので満足しなさい」
と言う。
執着している自分を見つけて、
「早く手放せ」
と思う。
そうして、
自分の中に現れたものを
一つずつ退けていく。
表面上は、
欲が少なくなったように
見えるかもしれません。
けれど、
内側では、
欲を持つ自分と、
欲を持ってはいけないとする自分が、
分離したままです。
欲がなくなったのではなく、
単に表に出さないように
抑えているだけなのです。
コントロール欲求の正体▼
「欲を手放さなければ」が、新しい執着になる
そして、
欲をなくすことを
目的にしてしまうと、
今度は、
「欲のない自分でいなければならない」
という新しい執着が
生まれることがあります。
おや、欲が出てきた。
まだ執着している。
また人と比べてしまった。
まだこんなものを求めている。
そのたびに、
「まだ駄目だ」
「もっと手放さなければ」
と、
自分を修正し続ける。
すると、
最初は、
幸せになるために、
自由になるために、
自分と向き合い始めたはずなのに、
いつの間にか、
欲が出てこないように、
自分を律し続ける修行のような人生
になっていきます。
人生そのものが修行になっていく
欲を持たない。
執着しない。
期待しない。
求めない。
人と比べない。
傷つかない。
間違えない。
そうやって、
自分の中に現れるものを
一つずつパトロールして、
取り締まっていけば、
生きることそのものが、
「正しい状態を保つための修行」
になっていきます。
欲が出たら抑える。
執着したら手放す。
心が乱れたら整える。
また欲が出たら、
また抑える。
けれど、
それを繰り返している限り、
自分の中にはずっと、
排除する側と、
排除される側が存在します。
だから、
いくら欲を抑えても、
分離そのものは
終わっていきません。
「正しくありたい」の奥にある「今のままでは足りない」という不足感▼
欲をなくすことを、人生の目的にしない
勘違いしないでください。
これは、
欲望のままに生きましょう。
自分の望みを全部叶えましょう。
あなたは幸せになる価値がある。
といった、
「自分を甘やかせ」という話ではありません。
それは、
統合か。
分離か。
という話です。
欲をなくすことそのものを、
人生の目的にしないでください。
欲を持つ自分を見つけては、
排除する。
執着する自分を見つけては、
修正する。
そうやって、
「欲のない正しい自分」を
作ろうとすることが、
統合なのではありません。
では、
欲を排除するのではない。
かといって、
何でも叶えましょう、と言う話でもない。
だとしたら、
自分の中にある欲と、
どう向き合っていけばいいのか。
そう思われた方もいるかもしれません。
次回は、「欲と赦し」について
お話していきます。
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