ニュースで大きな事件が起きたときに私が見ている視点

③平和と戦争

事件そのものではなく、その後に生まれるものを見ている

ニュースで大きな事件が起きると、
多くの人はこう考えます。

誰が悪いのか。
誰が被害者なのか。
どんな罰を与えるべきなのか。

もちろん、それも大切な視点です。

ですが、
私は少し違う角度から見ています。

私は事件そのものよりも、

その事件によって何が生まれているのか

を見ています。

例えば、

誰かが、

怒っている。
復讐を望んでいる。
加害者を許せないと思っている。
被害者に感情移入している。

私が見ているのは、
そういった

怒りや憎しみ、
正義感や復讐心、

そして執着です。

それを、

社会に流れる大きなエネルギー

として見ています。

出来事全体を正負の天秤として見る

私はよく、
出来事全体を正負の天秤として見ています。

ただしその天秤は、
加害者と被害者という二者だけが乗っているものではありません。

遺族。
世論。
司法。
国家。
時代。

そうしたものが幾重にも重なった、もっと大きな天秤です。

反応そのものが、今の社会の状態を映し出す

そして、大きな事件が起きたとき、
私は「誰が悪いのか」よりも、

今この社会は、どう進化しようとしているのか

を見ます。

例えばある人は、
「絶対に許せない」
と言うかもしれません。

また別の人は、
「憎しみは新たな争いを生む」
と言うかもしれません。

そのどちらが正しいかではなく、
そのあらゆる反応が、
今の社会の状態を映し出す鏡なのだと思っています。

私自身も許せない経験をしてきた

私自身、

社会のレールを外れ、
とてもじゃないけど明るいとは言えない青春時代を送り、
地面を這うように生きていた時代があります。

なぜ自分ばかりこんな目に遭うのか。
なぜ分かってもらえないのか。

私の大切なものが、
尊厳が、
奪われていく。

悔しく、理不尽さに飲み込まれ、
許せないと感じる経験を沢山してきました。

だから私は、

人が怒り、
憎しみ、
許せなくなる気持ち、

人の心の痛み、
大切なものを失う苦しみ、

そういうものが全然分からない、
という立場から話しているわけではありません。

実際に私自身が、
そういう感情に飲まれ、
苦しんできたからです。

私が理解したこと

ですが、
そうした経験を通して、
少しずつ理解したことがあります。

相手を裁いても、現実が変わるわけではない。

憎み続けても、苦しみは終わらない。

だから、
本当に必要なのは、
裁くことではなく、

理解することなのだと。

なぜその出来事が起きたのか。
なぜ自分はそこまで苦しいのか。
なぜ相手はそうなったのか。

そうしたことを理解していく中で、
執着というものは、少しずつほどけていく。

そのことを、
自らの体感を持って、
理解してきました。

人類は少しずつ学んできた

私は、
人間が成熟していくとは、
犯罪がゼロになることではないと思っています。

むしろ、
犯罪や問題が起きた時に、
私たちがどう反応するのか。

そこに社会の成熟が現れるのだと思っています。

昔の人類は、争いが起きれば簡単に殺し合っていました。

国同士も、
民族同士も、
宗教同士も、

力で決着をつけることが当たり前でした。

ですが少なくとも、
今の日本では、
普通に暮らしていて簡単に殺し合いにはなりません。

それは法律だけの力ではなく、
人類全体が少しずつ学び、
「社会の大きな天秤」を調整してきた結果なのだと思います。

本当の赦しとは何か

私は、
本当の赦しとは、

加害を肯定することでも、
被害を無かったことにすることでもない、と考えています。

人間は、

間違えます。
感情に飲まれます。
自分が正しい、と剣を振りかざします。

だから、

強いものではないのだと思います。

必要なのは、

そうした弱さを含めて人間なのだと理解すること

なのだと思います。

そしてそれは、

自分も例外ではない。

だからこそ、

自分は人を傷つけない。

同じ悲しみや苦しみを繰り返さない。

もう自分は裁かない。

そうして人間の弱さを赦しながら、

人は強くなっていくのだと思います。

そうした姿勢が、
少しずつ社会を変えていく。

だから私は、
この活動を行っています。

一人ひとりの理解が世界を変える

だから私は、
大きな事件が起きた時も、

誰かを断罪する目線ではなく、
その出来事によって、人の心に何が生まれているのかを見ます。

怒りなのか。
恐れなのか。
復讐心なのか。
正義感なのか。

それを理解することが、
今の社会を理解することにつながるからです。

そして私は、
結局のところ、

世界が良くなるのは、
制度が変わるからでも、
特定の思想が救ってくれるでもなく、

一人ひとりの“理解だと思っています。

だからこそ私は
社会の出来事を見る時も、
対話によって人の悩みを見る時も、

まずは、
一人ひとりの心の中で何が起きているのか。

それを理解することを大切にしています。

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