大きな視点で話す理由
私のセッションでは、
人生を少し大きな視点から捉える話をします。
たとえば、
人生の意味。
なぜ生きるのか。
なぜ人は苦しむのか。
痛みを通過する意味。
といった、
人生全体の構造
についての話です。
人生の構造▼

それは、
「今、自分に何が起きているのか」
を、
より俯瞰的に整理していくためです。
そのため、
セッションでは、
目に見える現実だけではなく、
人生全体の構造や、
目に見える現実だけでは捉えきれない視点について、
お話をします。
人は、「今見えているもの」だけで判断しようとしてしまう
人は時に、
目の前の出来事だけでは、
自分の人生を整理しきれなくなることがあります。
例えば、
今起きている苦しさ。
人間関係。
仕事。
家庭。
失敗。
喪失。
そういった現実だけを見ていると、
人はどうしても、
なぜ自分だけが、こんな思いをするのか
という視点に入りやすくなります。
もちろん、
実際に苦しいことは起きています。
ですが時に、
目の前の現実だけでは、人生全体の流れを、うまく捉えきれなくなることがあります。
私はこれまで、「これ以上どうやって人生と向き合っていいか分からない」という方と、たくさん話してきました。
そういうときに、
「人生全体を、少し引いた視点」
で捉える話をしています。
「大きな視点」が必要になるときとは
例えば、
「私は被害者だった」
という前提だけで、
人生を見続けている場合。
もちろん、
実際に傷ついてきた経験はあるでしょう。
ですが、
「では、その経験を通して、
自分は何を見ていく必要があるのか」
という大きな視点が入った時、
今までとは、
違う形で人生を捉え始めることがあります。
だから私は、
その時にだけ、
補助線として、
大きな視点を使うことがあります。
因果、人生の設定、宿命など。
私自身、セッションでは相手の会話の内容だけでなく、現実の絡まりの原因をそういった大きな視点で捉えています。
そして、それを解く方法も大きな構造から見て、次に、現実にどういう行動が必要か、という順番で見ています。
ですから、そういった話に興味がなかったり、よく分からないという場合、このサイトの趣旨、及び、私のセッションとは合わないと思います。
ただ、大切なこととして、「大きな視点」ばかりを見ていると、現実を生きることから、離れてしまうことがある、と感じています。
ですから、あくまでも構造を理解することが大事だというスタンスで扱っています。
「カルマ」という言葉も、構造として使っている
例えば、「カルマ」という言葉を使うことがあります。
誤解してほしくないのは、「罰」のような意味、たとえば「前世で悪いことをしたから、今苦しんでいる」「だから、苦しむことで解消しなくてはならない」というような理解ではありません。
あくまで、
「なぜ同じことが繰り返されるのか」
「人はなぜ、同じパターンに戻っていくのか」
そういった、
人生の構造を説明するための言葉として、
「カルマ」という言葉を使っています。

最も大切なのは、「現実をどう生きるか」
私が扱う大きな視点は、「今の現実を、どう希望を持って生きていくのか」に回収されていきます。
大切なのは、
今の現実をどう見て、
どう引き受けて、
何に希望を持ち、
どう生きるか。
その補助線としての、大きな視点です。




