はじめに
今回は、
内的テーマによる執着のうち、
「他人から執着されている場合」
についてお話します。
ただし、この内容は、
外的干渉による執着がある程度整理されていなければ、
取り組むことが難しいテーマでもあります。
そのため、
まだお読みでない方は、
先にこちらの記事をご覧ください。
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他人から執着されている場合
前回の記事では、
他人や物事に執着している場合についてお話しました。
前回の記事はこちら▼

「あの人が悪い」
「あの人のせいだ」
「あの人さえ変われば」
といったように、
自分が相手を変えたい、
コントロールしたい、
という気持ちが出ているケースでした。
ですが、
内的テーマによる執着は、
それだけではありません。
今回は逆に、
自分が相手から執着されている場合
についてです。
「自分にはどうしようもない」と思いやすい
相手が自分に執着している。
このようなケースは例えば、
ストーカー。
過度な依存。
ネット上での執拗な攻撃や粘着。
近年ネット上でよく見かける、
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)と呼ばれる人とのトラブルなども、この文脈で語られることがあります。
その時多くの人は、
「相手がおかしい」
「加害者は頭が話が通じない」
「もう自分にはどうしようもない」
と考えます。
実際に、
相手の問題行動が存在し、
被害も成立するからこそ、
そのように感じるのだと思います。
ですが無意識の観点から見ると、
そこにもまた、
自分自身の内的テーマが関係していることが少なくありません。
なぜなら、
現実は常に相互作用によって
鏡写しのように成り立っているからです。
注目するべきこと
ここで注目するべきなのは、
相手が自分に執着しているという事実です。
執着が、なんの理由もなしには生まれることはありません。
もちろん、相手側が
・事実を捻じ曲げたり
・自分の都合の良いように歪めて解釈したり
・「自分は悪くない」と主張したり
・集団で加害してきたり
このように、
実際に解釈や行動に歪みがあるケースもあります。
ただ、
私がお伝えしたいのは
「相手だけが悪いわけではない」
「あなたにも原因がある」
といった「悪いのはどちらか」という二元論的な文脈ではありません。
なぜ相手の執着が生まれたか
その構造を紐解くことに、この苦しみから抜けるヒントがある
という話をしています。
相手の執着を引き出していなかったか
私がこれまで実際にご相談を受けてきたケースでは、
相手がそれほど執着したくなる原因を、
自分自身も作り出していた
というケースは少なくありません。
例えば、
相手に期待を持たせていなかったか。
必要以上に好意的な態度を取っていなかったか。
本当は違和感を感じていたのに、嫌われたくないという気持ちから、曖昧な態度を続けていなかったか。
本来向き合うべきテーマから逃げていなかったか。
私が相談を受けた中にも、
「私は相手に振り回されている、相手がおかしい」
とお話される例がいくつかありました。
ですが、丁寧に紐解いていくと、
本人もまた、
相手が深く期待するような言動を続けていた
ということが見えてくるのです。
なんの理由もなしに相手が執着するということはありません。
解釈の歪み
よくあるのは、
最初は自分も相手に好かれたいと思い、
近づいていたケースです。
ですが、
途中から違和感を感じ始める。
しかし、
嫌われるのが怖い。
あるいは、揉めたくない。
だから曖昧なまま関係を続ける。
そしてある日、
堪忍袋の緒が切れて、
突然関係を切る。
すると相手は深く傷つきます。
ですが、
その後、
「私はちゃんとしていたのに」
「相手がおかしくなっただけ」
という解釈が始まることがあります。
もちろん、
相手側に問題行動が見られるケースもあります。
繰り返しになりますが、
ここで大事なことは、
本当に悪いのは誰か、
という犯人捜しの視点ではありません。
向き合うべきもの
本当に向き合うべきものとは、
こうしたケースでも、
前回の記事と同じです。
大切なのは、
自分自身が見ないようにしているものを見ることです。
嫌われないようにしていなかったか。
曖昧な態度を取らなかったか。
なぜ本音を伝えられなかったのか。
なぜ相手の期待を引き受け続けたのか。
その奥には、
必ず何らかの内的テーマがあります。
現実が終わるとは限らない
もちろん、
これらを理解し執着が解けたからといって、
必ず相手が執着している現実が消えるとは限りません。
自分の執着が解けた後も、
現実として相手の執着が残るケースもあります。

ですが、大きな違いがあります。
それは、
自分の心の在り方が変化し、深い理解が生まれ、
もうその現実に振り回されなくなるということです。
深い理解。
それは、
相手は弱い存在であった。
その苦しみを刺激したのは自分だった。
だから執着の行動が生まれた。
でも自分もまた弱い存在であった。
内的テーマからその関係を作り出したからだ。
お互い様だった。
だからもう相手を責めても意味がないと分かる。
ということです。
例えるなら、
小さな子供が悪いことをしてしまうことを、
本気で怒っても仕方がないのと、一緒です。
勘違いしてはならないのは、
「相手はガキ」「私は大人」のように
馬鹿にしたり、見下すという意味ではありません。
あなたもまた無知なのです。
相手も無知。あなたも無知。
私も含めて、人は皆どこかで無知です。
相手の無知さを批判するのは、
あなたがあなたの無知さを批判する構造と一緒なのです。
だから、お互い様で、見守る心を持つことです。
大きな視点で、赦すとは、そういうことです。
私のセッションでは
私のセッションでは、
このような関係性の中で、
自分が何を見ていなかったのか、
どのような内的テーマが働いていたのかを整理し、
執着を解く対話を行っています。
相手を悪者にするためではありません。
また、自分を責めるためでもありません。
現実をあるがまま見て、
そこにどのような解釈の歪みがあったのかを理解していくためです。
本気で自分自身と向き合いたい方は、
まずは初回セッションへお越しください。


