はじめに
この記事は「因果の法則シリーズ」の第5回です。
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執着が解けても、現実に残るものがある
前回の記事では、
生まれながらの病気や障害、
家庭環境など、
人生の中で向き合うことになるテーマについて
お話しました。
ここまで読んで、
「では、執着が解ければ、
すべての問題が現実から消えるのか」
と思った方もいるかもしれません。
実際、
世の中には、
「あなたが変われば、すべてうまくいく」
「内面が変われば、現実もすべて変わる」
といった考え方もあります。
そうであってほしいと思う気持ちは、
自然なことだと思います。
ですが、
それは私がこれまで
多くの方と対話し、
その後の人生の変化を見てきた中で
感じていることは、
そうではありません。
執着が解けても、
現実に残り続けるものがあります。
現実には「積み重なった痕跡」がある
たとえば、
長年続いている病気や障害、
発達特性。
あるいは、
過去の選択によって
すでに生じている責任や債務。
こうしたものは、
自分の中にあったテーマを理解し、
執着が解けたからといって、
現実から消えるとは限りません。
なぜなら、
現実には、
すでに積み重なったものがあるからです。
これまで積み重なってきた身体の反応。
置かれている環境。
過去の選択によって、
すでに生じている結果や責任。
それらは、
今の自分の内面とは別に、
すでに現実の中に存在しています。
だからこそ、
執着が解けることと、
すでに生じた現実がなくなることは、
同じではありません。
現実が残ることと、苦しみ続けることは違う
ただし、
ここで大切なのは、
現実が残ることと、
その現実によって苦しみ続けることは、
同じではない
ということです。
病気が残ることもある。
特性が残ることもある。
過去に生じた責任が
残ることもある。
けれど、
自分の中にあったテーマへの理解が深まり、
執着が解けていくと、
その現実との関わり方が
変わっていきます。
「なぜ自分だけ、
こんな目に遭うのだろう」
「これさえなければ、
幸せになれるのに」
と、
現実そのものと
戦い続けるところから、
今ある現実は現実として見ながら、
その中で自分はどうするのか
へと、
少しずつ意識が移っていきます。
終わっていくのは、現実との心理的な葛藤
つまり、
現実そのものが残っていたとしても、
終わっていくものがあります。
それが、
その現実との心理的な葛藤です。
抵抗すること。
怒り続けること。
嘆き続けること。
誰かと比べ続けること。
「この問題さえなくなれば、
自分は救われる」
と考え続けること。
そうしたものが
少しずつ静かになっていくと、
問題そのものと
戦い続けるのではなく、
今ある現実に対して、
必要なことをしていけるようになります。
現実は残っていても、
その現実によって
必要以上に振り回され続ける状態は、
少しずつ変わっていくのです。
問題が消えなければ、幸せになれないわけではない
ここまで読むと、
「では、結局現実が残るなら、
執着を解くことに意味はないのでは?」
と思う方もいるかもしれません。
けれど、
現実に何かが残っていることと、
幸せになれないことも、
同じではありません。
問題があるから、
幸せになれない。
問題が消えなければ、
前へ進めない。
そうやって、
「これがあるせいで、
自分は幸せになれない」
と、
自分が幸せになれない理由を、
外側の問題のせいにしなくなっていく。
問題が残っていても、
その現実の中で、
自分にできることをしていく。
今ある現実の中で、
自分にできることをする。
その現実から何かを知りながら、
また次を選んでいく。
現実を消すことではなく、
現実との関係そのものが変わっていく。
そこに、
大きな違いがあります。
では、負のカルマが解消された先には何があるのか
ここまで
「因果の法則シリーズ」では、
人生の中で
同じテーマが繰り返されることや、
その中にある執着について
お話してきました。
そして、
今回お伝えしたように、
負のカルマが解消されることは、
過去に生じた現実まで、
すべてなかったことになるという意味ではありません。
では、
その現実を引き受けながらも、
執着によって
同じ苦しみを繰り返す状態が終わっていったとき、
人生には、
何が起きるのでしょうか。
次回は、
負のカルマが解消された先で始まる
「循環」と「大いなる流れ」
についてお話します。
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